3 いくつかの狐の話

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 以下、今回の調査で記録できた狐の話と前述した『小平むかしむかし』から、再話者の許可を得て引用できたもの(文末に再話者が記されているものがそれにあたる。)から狐の話を示してみる。
 
●堂山に狐の嫁入り(小川町 昭和六年生 女性)
 平安窪の上の方のAさんを堂山(ドウヤマ)っていったんです。窪からみると高くなっているでしょ。山っていうの。昔はお風呂が主家(オモヤ)から外にあったでしょ。そのお風呂に入ってる時、「夕べは狐の嫁入りがあったよ」って、次の日家の人に話したりしたわね。昔は土葬だから燐が燃えるでしょ。人魂もみたことありますよ。
 
●おかずをとられた話(小川町 大正十一年生 男性)
 立川で弁当のおかずの海苔と塩ザケを買って帰って来て寺橋(小川寺の南)を渡って来たら、女の人が二人桑を摘んでるんですよ。あれ、今時分にと思いながら通って家に帰ったら、そのおかず(ノリと塩ザケ)が、すっかりなくなってたんです。昭和一六年か一七年の戦争中の話ですけんど、二人で帰って来て二人とも盗られたんです。狐だからね、本当に体験した話です。
 
●狐に化かされて山の中をおっさおっさ(大沼町 大正八年生 男性)
 私の家の土地は昔はこの東京街道(江戸街道)から所沢街道(滝山団地)までずーっとで、家なんかなくて山(雑木林)だった。私のおじいさんが用足しにいったんですが、夕方になっても帰って来なくて(昭和四年に亡くなりましたが)家の者が心配して山の方にみんなして迎えにいったんです。そしたらおじいさんがこんな風に腰かがめて「おっさおっさ」って手で草を分けるようにして歩いている所に出くわしたんです。「どうしてもこの山からでられないんだ」って言ってね。みんなして連れて帰った。狐に化かされたんだってことです。
 
●狐火がぽーっぽーっ(大沼町 大正八年生 男性)
 これは本当に私が見たんです。大正一五年私がまだ学校に入る前のことですよ。昔はこの通り(東京街道)は私の家とTさん(元町長)とお寺(泉蔵院)くらいしか家がなかったんです。私は友達五人くらいで遊んでいたんです。夕方暗くなる頃、小平の駅の方、西から次つぎに丸い玉(三〇糎)、提灯みたいのが「ぽーっぽーっぽ」と出てきてね。七つか八つかな、そして延命寺の森に一つずつ消えていったんです。本当です。丸い提灯みたいなもの。「狐だー」ってみんなで叫んでね。家へ逃げて帰ったんですよ。怖かった。本当に狐火がぽーっぽーっとね。
 
●狐火(大沼町 大正八年生 男性)
 南の方、ゴルフ場辺りは湧水や低地でいつも水が流れていて、その辺りで狐火を見たことあるとか。その辺りに狐の穴や狸の穴があって狐火を見たと。
 私が五~六歳の時、Sさんの家でムジナをとったというので見にいった覚えがありますよ(ここでいうムジナはおそらく狸であろう)。おりの中に入れられていて、近くの人が大勢見に来ていた。ムジナって夜行性なので、日中に見にくる人がいたので疲れて死んでしまった。可哀いそうなことしました。
 ついこの間も用水路の北側の所に何かいるというので市役所で見に来たんですが、見つからなかったですね。巣があるかも知れないといってましたが…

 なおムジナの話はこのあとに紹介する。

 
●狐のはなし(小川町 昭和十四年生 男性)
 南台病院の南っ側、玉川上水までの草っ原を「狐っ原」っていってたんです。私なんかが子どもの頃はおふくろが、「夕方はあっちの方へいっちやあだめだよ。狐に化かされるから……」って言ってましたね。だから子ども達は遊んでいても、夕方になるとあっちへ遊びに行かなかった。え、化かされた子ですか。近所にはいませんでした。今でも「狐っ原」っていって、正式な地名になったようです。
 
●狐のはなし(花小金井 昭和十五年生 男性)
 明治生れの祖母から何度も聞いたこわい話です。狐がついた話です。親戚のおじいさんが「危篤だ、死にそうだ」っていうので報せが来て、皆んながとんでいったら、暫くして息を吹きかえしたんです。そして「今おれを何かが押えに来ている。殺されそうだ。」ってわめくんだって。そんなことを七回もくり返したんです。それで周りの者が「これは狐がついてるんじゃないか」ってね、「みんなで追い出そう」って暴れているじいさんの体を押えつけていたんです。七回目にじいさんがその辺にあった紙きれを手にとって「お前達にこの金をやる」っていってね。そんでその後、息をひきとった。みんなで後で「あれは狐にとりつかれたんじゃないか」ってね。お墓のうらには明治三十年ってあったと思います。
 
●狐のはなし(花小金井 昭和十五年生 男性)
 鈴木町のはずれに親戚があるんですけんど、うちの年寄りが用足しにいって、そこから用水っぷちを歩いて帰って来たら、用水の向うから突然でっかい月が出たんだと。そんでね、月明りにそって歩いてくると、気が付くと用水の中を歩いてるんだ。ざぶざぶね。狐に化かされたんじゃないですか。昭和二十五年に亡くなった慶応生れの人でした。だから私なんか子どもの頃、狐っておっかねえって思ってたね。稲荷様の前を通る時はいつもかけ足で通ったもんです。
 
●狐のはなし(鈴木町 昭和十六年生 女性)
 私のおばあちゃんの話ですけど、夕立なんか降ったあとに家の畑のずっと向うの林の方に、狐火がちらちらちらちら見えたって聞いたことあります。玉川上水の方かしらね。
 
●狐のはなし(花小金井 昭和十三年生 女性)
 私の家は小金井街道沿いでしたでしょ。おじいさんなんかたいがい用足しには小金井の駅の方へいったと思いますよ。昔は小金井カントリーの所と郷土館(小金井公園)の所が、両方からずーっと木が茂っていてね。両方がね。そこに狐や狸がいて化かされたっていってましたね。道に迷ってしまって、なかなか帰りつかなかったってね。今、私が思うには、おじいさんは酔ぱらってて、自分で道を間違ったんじゃないかしら。
 
●狐のはなし(花小金井 昭和十八年生 男性)
 お袋のおじいさんが東大和に用足しにいって帰ってくる時に延命寺の辺りで狐に化かされたって話を聞いてます。一晩中ぐるぐるしてて家に帰れなかったってね。
 
●狐のはなし(小川町 昭和十一年生 女性)
 私達のお仲人さんは新小平駅のそばのMさんですけど、いつだったか主人と二人で伺った時にこんな話を聞きました。小川の一番東の方のSさんがね、ある時、山にたき木取りに行ったんですって。たき木取りって、この辺は雑木林の枝をおろしておいて、何日かしてから取りに行くんですけどね。夕方になっても帰って来ない。「こりゃ三本足の狐に食われたんじゃないか」って近所の人達総出で探しにいったんです。三本足の狐ってね、鉄砲で撃たれて一本だめになって足が三本になっちゃったけど、村の人達にこわがられている大きい狐なんです。けれどどうしても見つからなかった。それから暫くして、山の中の木の枝に、その人の着ていた縞の着物が見つかったんです。「やっぱり三本足の狐の仕業だ」ってことになったようです。
 
●狐のはなし(小川町 昭和十六年生 女性)
 狐のはなし、よく聞きましたよ。
 おじいちゃん(しゅうとさん)が、よく話してました。
 おばあちゃんの実家が武蔵村山の原山って所なんですけど。昔ね、よく自転車の後におばあちゃんを乗せて行ったってね。そう、うめばあちゃんをね。会ったことあるでしょ。東大和の駅の大銀杏の稲荷さんの左側の道、焼却場にいく道を、桜街道っていうんですけど、そこを真直いくんです。昔はさびしい所で、そこら辺りで夕方、薄暗くなって帰ってくると狐に化かされてうろうろ。なかなか家に帰れなかったんですって。
 
●狐の約束
 むかし。
 小平にもたくさんの狐(きつね)がおって、村人に悪さをしていたことがあった。
 ある朝、じいさまがいつものように畑仕事に出かける途中、茶の木の根元になにやら動くもんがおった。
「おや、こんな所になんだべえ」
 と、じいさまは立止まってよっく見るとなんと、そこにはでっけえ狐がうずくまっておった。
「狐じゃ狐じゃ」
 じいさまは思わず大声で誰かを呼ばろうとした。だども、狐のうずくまりようが、ただごとではないので、あわてて口をつぐんでしまった。
 狐は片方の後足をのばしたまんま、身動き一つしないでぐったりしておる。
「一体どうしたんだえ」
 と、思いながらじいさまはそばによってみた。
 狐は後足が痛むのか、毛をすっかり逆だてて、じっとじいさまの顔を見上げておる。
 じいさまはもう少し狐のそばによってみた。
「なんと、でっけえ棘(とげ)をさしておるわ」
 じいさまはたまげた。
「おらが棘を抜く間じっとしていられるかえ」
 じいさまは念を押すようにいった。
「がまんできねえで、おらにかみついたりしねえだんべな」
 狐は頭を心もちあげて、じいさまの顔をみつめながらうなずくようにした。
「どーれ」
 じいさまは狐のそばにひざをつき、血のにじんだ後足に恐る恐る手をかけた。
「今すぐ楽にしてやるぞ」
 じいさまが棘を抜いてやったとたん、狐は、
「くえん、くえん」
 とないて、じいさまのひざをけりつけて、とびあがった。
 じいさまがびっくりして尻もちをついている間に、狐は茶の木をとびこえると、ちらっと後をふりむいたかと思うと、もう雑木林の向こうに見えなくなった。
「やれやれ、よかった」
 じいさまはひざの土を払い落すと、腰をのばして、鍬をかつぎ畑仕事に出かけていった。その次の朝
「おや、なんだべえ」
 雨戸をあけたじいさまは、ぬれ縁に何かが置いてあるのを見つけた。
 それは、たった今とって来たばかりの生あったかい野兎だった。
 それを見て、じいさまは、
「昨日助けてやった狐にちがいねえ」
 と、思った。
 それからしばらくの間、じいさまの村では鶏をとられたという話もなく、大きな狐の姿を見かけたという人もなかった。

(再話 今井美代子)


 またムジナの話も伝わっている。
 
●ムジナのはなし(鈴木町 昭和二十三年生 男性)
 秋から冬にかけて小平の家々や林には団栗の実が熟れて落ち始めますが、この団栗を食べにくるといわれていたムジナのはなしです。
 わたし等が子どもの頃、いたずらして叱られたり、ぐずったりして泣いていると「ほらムジナが食いにくるぞ」って親達によく言われたもんです。ムジナの姿を見たわけじゃないんですけど、「こわいもの、食われちゃ大変」と子ども心に思って泣くのをやめたんです。
 
●ムジナのはなし(花小金井 昭和十三年生 女性)
 東京街道の方に行った所に大きな林があったです。そこにムジナがいて、人に悪さをするといわれてましたね。昔の私の家は外にトイレ(外厠)があったんです。子どもの頃トイレにいくのに暗いから提灯さげていった。じゃないと「ムジナが出る」って母なんかいってね。こわかったですね。トイレの戸の所に提灯をかけるものがありました。提灯のローソクを母につけてもらって「早くいって来なさい。」ってね。よくいわれた。こわかったですね。真暗な外に出るのが。