第二節 民謡

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 ここでは鈴木囃子(ばやし)を中心にとりあげることになる。小平にはこのほかに大沼町に大岱(おんた)囃子が伝わっていたといわれているが、これについては「家の物置でおやじたち若いもんが何人か集まって練習してたんです。そんでそのあと、提灯(ちょうちん)つけたまんま遊びにいっちゃってね。火事になっちゃって、みんな燃えちまった。そんで終りになっちまったんです。惜しいことしましたよ。明治三十二年から絶えてしまいました。」という明治三十九年(一九〇六)生まれの大沼町の男性の話が『小平ちょっと昔』におさめられている。大沼町、かつての大沼田新田は、享保九年(一七二四)に大岱村(東村山市恩多)の名主當麻弥左衛門によって拓かれたが、このはやしは大岱村から受け継いだお囃子であるという。
 小平の民謡としては、「棒打ち唄」という作業唄がよく知られている。センバ扱(こ)きでおとしたあとの麦の穂を、天気の良い日に庭に広げたムシロの上にあけてクルリ棒で打つ時の唄である。これは共同作業のため、うたうことでクルリ棒の調子をあわせてもいた(図11-4)。もっともこれを現役の作業唄としてうたっていたのは、現在の古老の親か祖父の代までのことになる。今は小平の民謡保存会が継承し、ステージなどで時折披露することで知られている。
図11-3
図11-3
第49回市民文化祭「民謡の祭典・第24回棒打ち唄保存会民謡大会」における棒打ち唄の合唱。ステージと客席が声をひとつにあわせる。ルネこだいらで(2011.11.6)

図11-4
図11-4
棒打ち唄 『郷土こだいら』(小平市教育委員会1967年)より