1 鈴木囃子

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 鈴木囃子については、昭和四十二年に西田泰三氏がとりまとめられた『鈴木流囃子覚書』が最も信頼できる由来記録であり(巻末資料を参照)、それを受け、その後の推移を窪田治氏が『小平の歴史を拓く-市史研究-』第二号に「鈴木ばやしの歴史」としてまとめられている。このふたつの記録から弘化年間(一八四四-四八)に鈴木新田に伝わり、現在にいたるこのお囃子のあゆみをたどることができる。このお囃子は、鈴木新田の有力者であった深谷定右衛門が田淵(杉並区)に住んでいた横川初五郎という人物から伝授された江戸祭囃子を、村の青年たちの娯楽としてひろめたのがその起こりであるという。大太鼓一人、小太鼓二人、笛一人、鉦(かね)一人の五人構成で演ずるお囃子である。その後、多少の消長があったが、昭和四十五年小平市の無形民俗文化財に指定され、「小平市鈴木ばやし保存会」が結成され、後継者の育成もおこなわれるようになった。この動きには市の職員が積極的にかかわり、担っていったという。山車(だし)は東村山市久米川町の熊野神社から借りていたが、昭和五十三年九月に山車が完成し、花小金井武道館で山車の落成式がおこなわれた。かつては小平の七つの旧村それぞれにお囃子が伝わっていたらしいのだが、現在継承されているのは鈴木囃子のみであり、上水本町の稲荷神社、小平神明宮、仲町の熊野宮、鈴木町の稲荷神社、大沼町の稲荷神社、花小金井の武蔵野神社、美園町の稲荷神社、学園西町の祭礼には定例的に出演している。
図11-5
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小川神明宮の八雲祭での鈴木囃子。小平市東部で(2010.4.28)

 かつては、昇殿、屋台、宮昇殿、屋台、鎌倉、国固め、攻め、四丁目(しちょうめ)、屋台という流れで構成されていたという。現在は、まず、打ち込みと称して先バチだけで十四音打ち込んでから、屋台(約三分。笛、太鼓、鉦で音調を整える)、鎌倉(約二分。笛と大太鼓が中心。テンポが遅く、比較的静か)、国固め(約一分。ややテンポが速くなる)、攻め(約一分。さらにテンポが速まる)、四丁目(約五分。最も賑やかなところ)、屋台(約二分。テンポやや早目)と展開することが通常であるという。そしてこのなかにニンバというリズムを組み入れる。そして、獅子やキツネ、ひょっとこの舞が加わる。なお、平成二十三年には、かつて演じられていた宮昇殿が保存会の青年会員によって復元されている。
 なおこのほかに「よ組ばやし」という囃子連があり、小川の日枝神社や小平神明宮の祭礼などに参加している。これは昭和五十三年に小川町の新井栄吉氏と四番の人たちが中心になってたちあげたものになる。同氏は瑞穂町で重松囃子を習得し、子どもたちに伝統芸能の魅力を伝えようとこの囃子連をつくった。現在大人十五人、子供十人の構成で、地域の集会所で練習に励んでいる。
図11-6
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昭和32年頃に撮影された祭具。踊りの面 飯山達雄氏撮影・寄贈 小平市立図書館所蔵(1957年頃)


図11-7①~22 『小平市無形文化財 鈴木ばやしお手本』より
      ・お手本の白丸は「右手で強く打つ」、黒丸は「左手で強く打つ」を意味する。
・印なしは、「太鼓の面にさわる程度」で、これをキザミという。
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