資料の概要

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地元の方を訪ねて(庄司徳治)…①
 昭和四十九年に立ち上げられた「玉川上水を守る会」の会報『玉川上水』の連載記事で、同会の世話人であった庄司徳治氏の手による、取材当時七十代の方々からの聞書きである(九・十一は、正木覚氏と共同執筆)。庄司氏の手記(「玉川上水を守る会・会報を手にとって…」『小平の歴史を拓く-市史研究-』第四号所収 小平市企画政策部編)によれば、「新住民は先住者の生活を理解しなくてはならない」という想いから連載された記事であった。連載は計十四回、足掛け十八年にわたっている。取材は、話を伺った方から次に話をしてくださる方を紹介してもらうという形で続けられており、庄司氏の生家が会津盆地の農家であったことから、農業の話を共通の話題として通じ合うことができたという。採録にあたり、庄司氏の手で漢字の誤表記、用語や助詞などの修正と加筆を行っている。原資料中にある挿絵は割愛した。

自分史  自平成十七年五月三十日(大久保義則)…②
 大久保義則氏は、大正八年(一九一九)に大沼田新田の農家に七人兄弟の末っ子として生まれた。当時生家は、土地を九町歩ほど有する大きな農家だった。子どもの頃は、両親と祖父、七人の子どものほかに、住み込みで子守りがひとり、作代がひとり、女中ひとりがおり、ほかにヒヨトリ(日庸取り)が通いでひとり来ていたという。この記録は、市販のノートの表紙にご自身が『自分史』と書かれ、手書きで回想をしるされたものの全文になる。幼少期の思い出のみで止まっており、続きを書きたい旨話されていたが、その後お体をこわされ、そのままになっているとのことである。同氏からの聞書きによる註を付している。また、文中[ ]も原文にない註を指す。原文は句読点がほどこされていないため、編者が加えた。同様に括弧も加えており、数字表記は漢数字に改めた。

小平のブルーベリー栽培について(島村速雄)…③
 本文第一章第四節でふれたブルベリーについての詳細になる。この聞書きは、平成九年十月二十一日、島村宅にておこなったものである。

昔の小平言葉を振り返って(長澤徳一)…④
 長澤徳一氏は、明治、大正生まれの方々の話を耳にするなかで、小平で使われている方言を記録しておく必要を感じられたという。昭和五十年代のことである。以来、単語や言い回しを書きとどめることから始まり、後に用例となる会話文を記すにいたっている。こうした形で書きためられてきた資料をひとつにまとめ、前文を添えて採録した。「※」以下は、使用例の意味を示す。

西田泰三「小平市無形文化財 鈴木流囃子覚記」(抄録)…⑤
 本記録は昭和四十二年二月に西田泰三氏によって編まれ刊行されたものである。その内容は昭和二十七年にとりまとめた部分、同四十一年にとりまとめた部分、それに同四十二年に記された部分からなっている。本文に使われている活字も人名に関しては大きなものを、由緒来歴などについては小さな活字を使われているのだが、抄録するにあたっては活字の大きさを統一し、本文八ページのうち由緒来歴の部分のみを抽出している。