●同 第十三号(昭和六十一年三月一日)より 地元の方を訪ねて(その十二) 小山喜彬氏大いに語る

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 現在ここの当主は第五代目で、天保元年(一八三〇年)以来、瘡守(かさもり)稲荷社を屋敷神として祀り、それを今日まで継承されている。
 ご存知とは思いますが、小平市内にも大沼田新田(大沼町)の名主当麻弥左衛門が勧請(青梅市今寺)した稲稲荷神社と変わった名の飯成(いなり)大明神・堀端野中(上水南町)組頭の六左衛門勧請による稲荷神社などがありますし、又、この近在にある旧青梅橋=野火止用水に架っていた橋で昭和三十七年暗渠となり、その面影すら今はありませんが四十七年頃まではその名残りを留めておったコンクリート製の親柱には「阿う免はし」と刻まれておったんです。現在は西武線が高架となり東大和市駅とその呼び名も変わってしまいましたが、その手前左側・銀杏大木の下に同じように瘡守稲荷が柵に囲まれて祠が祀ってありますし、それと共に四辻の道標には東江戸・西青梅・南八王子・北山口の分岐点としてその役割を今に留めております。
 私の所は「瘡守稲荷といってその名のとおり゛かさ″ですので特におできによく効くといわれているものです。
 この由来は天保五年(一八三四年)~天保八年(一八三七年)の頃にかけまして凶作や、玉川上水の氾濫・厄病が流行り、災害などが続いた年であったところから人々の厄除けの祈願をするところであったろうと想像されます。
 稲荷神社のことを、ものの本によれば全国の総本社は伏見稲荷大社(和銅四年初午七一二年)に起因し、それは国史上、霖雨と寒害の史実から学んだ結果、あみだされたといわれているそうです。又、御神徳は古住今来、衣食住の大祖・万民幸福・豊楽・殖産興業の霊神、その分霊を奉戴して祀られた全国津々浦々はもとより海外に迄も及んでいるとかです。
 鳥居のアカ(朱・丹)色を塗ってアカにする意味には神の愛(め)で給う色ともいわれ、豊年を象徴する暖たかい炎の色どりを意味し、それを荷った束稲「御体イネヲニナワセ給ニヨリテ」から、更に願意の通達の役目として鳥居があるんだとも言われております。
 これは即ち、豊葦原の瑞穂の国(稲作農耕)から起因しているのでしょう。従って、もともと田の神の信仰から屋敷神として、ビルの屋上にも祀り、同族神も稲荷であることが多く、春の行事の先がけとして豊年を祈る祭なんですね。赤飯・煮メ・八ツ頭・こんにゃく・焼豆腐、木戸の屋根には大行燈を吊し、神殿前の両側には地口絵・狐の仮面で神楽の真似ごとなども行われ、東京で有名なのは王子の稲荷、烏森の稲荷といったところですかね。
 うちでは毎年二月十一日、講中の者による十四日と祭礼を行っております。願いごとは商売繁昌もさることながらやはり゛かさ″稲荷ですので、それにまつわる話として、小平むかしむかし=小平民話の会編集になるお話しを土産としましょうか。
 むかし、瘡守稲荷というお稲荷さんは、どこの村にも二つや三つはあったもんだ。なかでも、小川の方にある瘡守稲荷は、霊験あらたかで、どんなひどいおできにもよく効いて、すっかり綺麗に直たんだ。それで遠くの方からもお参りに来る人が絶えなかった。
 お稲荷さんに願いごとをする時は、まず泥で作った団子を供える。そして、その願いごとが叶えられた時にはそのお礼にお米の団子を作って奉げるのが慣わしだった。
 或る時、小川の若い娘が、流行(はやり)のでき物が顔中に出て大層困った。そこで、早速その瘡守稲荷に行って、「どうか、かさを直して下さい」とおがみ、そこに置いてあるすべすべした石で丁寧に顔をこすった。そうして、泥で作った団子をお供えしておがんで来た。所がどうした訳か、三日経っても五日経っても、一向にでき物が消えない。嫁ぐ前の娘のこと、家の人々も大層心配して、あちこちのお稲荷さんに行っては、「かさで困ってます。どうか直して下さい」とおがんで来るのですがやっぱり効き目がありません。「かあさん、おう、こんな顔じゃ、もう外へ出て歩くのも辱しい。」娘にそう言われ母さんも身を切られる程、切無く夜も寝ないで思案した。翌る日母さんはとびきり上等の餅米で団子を作り、たっぷりとあんこをくっつけた。そうして嫌がる娘の手を引っ張ってお稲荷さんの前に行き、こうおがんだ。「瘡守稲荷様、遠くの人ばっかり直さんで、小川の娘の瘡も、どうぞ直して下さい。今日はとびっきりうまい団子を置いて行っから」。そうした所、不思議なことに、一日一日と、娘のできものが良くなり七日目にすっかり綺麗に直って、もとのような白い肌になったんだと。後になってから娘が母さんに聞いた。「かさが直らんうちに、どうしてお米の団子を供げたのかえ。」「なあに、わけないさ、幾らお稲荷さんだって、泥の団子ばかりじゃ、食い飽きたんべえと思ってな。たまにゃ先にうまいもんをあげたのもよかんべえと思ったのさ」。母さん、そう答えたんだってさ。

(文責・庄司)