3.狐に化(ばか)された話

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 この話は母親から聞いた実話です。
 私の父は大久保粂次郎で、その父親が米蔵です。ですから私のおじいさんです。おじいさんは私が知っているのは何時も倉の二階に寝ていて、朝起て来ると新聞を見てから田藁を木槌で叩き縄をなっていて、チャガ[茶芽]が出る頃になるとチャガを干してチャガの丈夫な細い縄をなっていたのを知っていて、夕方になると風呂を焚き付て、最後の薪を之だけくべれば良いからと薪三、四本になって私に後を押付けて、「居酒屋のオケヤ」とみんなが呼んでいた寺前の新保クラ様店に行き酒を飲むのが日課で、昭和四年七月二十八日七十八才で自宅で老衰で亡くなった。(注9)私が小学四年生だった。そのおじいさんが或る日久留米村前沢の店に行ったきり夜になっても帰って来ないので、家にいた者みんなで前沢に行った道、現在の滝山団地(その頃は東京街道から前沢に行くには雑木林の続いた山を通らないと行けなかった)の山を探した処、おじいさんは足を血だらけにして山の中を歩いているのを見つけたので、「おじいさん何しているのだ。帰ってこないのでみんなで探しに来た」と言うと、家に帰ろうと良い道をどこまで歩いても家に着かないんだと話したと言う。結局狐が良い道路に化けておじいさんをだまし、山の中を歩かせていたことが判ったと云う。
 今の滝山団地附近は、昭和十年頃までは柳窪から柳窪新田までと東京街道から所沢街道までの間に一軒の家も無く、山続きと畑で淋しい処で秋はきのこ取りの山で、首つり自殺者がよく見つかる人の寄りつかない山だった。(注10)(注11)
〔注〕
(9)昔、旱魃で作物がとれない時、親類(国分寺の榎戸。ここに嫁いでいた)から助けてもらってしのいだことがあるという。その経験からうちではその年とれた米と麦はその年食べずに土蔵にたくわえて翌年たべた。その泥棒よけにおじいさんは蔵で寝ていた。
(10)きつねにいたずらされた話は、母がよくしていた。夜、寺の前にくると、ちょうちんがぱっと消えてローソクをとられた、とか。
(11)きのこはアブラボウズ(シメジ)とサムサボウズ(小さなマツタケ)