7.運動会

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 私が小学校一年生は昭和元年で、当時の小学校の運動会は毎年十月十五日と決まっていて、当時小平村立小学校は第一尋常高等小学校と第二尋常高等小学校と第二小学校分校と第三尋常小学校の三小学校で、私は第二小学校分校で現在の昭和病院の東にある武蔵野神社入口東の武道館の場所が第二小学校分校だった。
 運動会場は箱根土地グランドで場所は、現在の学園西町で一ツ橋学園駅北の東西のバス道路を線路の西約百五十米位西の北に高さ十米位に土を盛上げた土手で、四隅に入場口があり直線百米がとれた広い運動場で、運動場の南と西は雑木林で北は畑で入場口は東の南口と北口から入場し、小学校生徒は南側の土手の西から第一小学校、真中が第二小学校で、東が第三小学校の順で、開会式には全校生徒が整列し青年団、消防団、婦人会等参列全村挙げての大運動会で花火が上り、出店は多く当時の小平村長小川良助氏がカイゼルヒゲを挨拶中右手でそのヒゲを「これすなはち」と言う度にひねる癖があり、今年の挨拶では五回ひねった等小学生の間で話題になった。
 各部落に青年団の分団があり、八百米リレーを四人で走り優勝カップを目ざして必死に走り運動会の一番の呼物だった。
 子供も全村挙げての集いは運動会だけで、出店でだんごや玩具を買うのがなによりの楽しみだった。