この十五夜の供物の中で、萬重ボタ餅だんご等すぐ食べられるものだけを部落の子供小学校六年生位を年長に一年生位までの五、六人でみんな風呂敷か袋を持って、下組は私の家から神社の北の家まで約一五軒を「おばさん十五夜を下げさせて下さい」と言うと何処の家でも年寄が「よく来たさあみんな持って行け」と言って供えてあった万重ボタ餅等全部をくれたので、子供は貰ったボタ餅等年長者が山分してくれるので子供は十五夜を楽しく待っていたものである。(注12)
〔注〕
(12)十五夜は一番楽しかったが、自分が年長になるころ(昭和八年頃)にはこの風習はすたれていた。私が小さい頃、子供たちがもらって歩く範囲は決まっていて、この辺はうち(大沼田の東端)から氏神様まで。
(12)十五夜は一番楽しかったが、自分が年長になるころ(昭和八年頃)にはこの風習はすたれていた。私が小さい頃、子供たちがもらって歩く範囲は決まっていて、この辺はうち(大沼田の東端)から氏神様まで。