9.十五夜

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 大正年代頃から昭和の五年頃までは、毎年九月の名月十五夜には農家では何処の家でも十五夜の供物として、畑で取れた作物さつま芋や里芋南瓜等と一緒に、その家により異なるが萬重ボタ餅だんご等を供え、茅一五本を花瓶に入れ箕の上に乗せ神酒にローソクを立てて縁側に置いて満月の十五夜に五穀豊穣をお祈りし、豊作を感謝しお願いしたものである。
 この十五夜の供物の中で、萬重ボタ餅だんご等すぐ食べられるものだけを部落の子供小学校六年生位を年長に一年生位までの五、六人でみんな風呂敷か袋を持って、下組は私の家から神社の北の家まで約一五軒を「おばさん十五夜を下げさせて下さい」と言うと何処の家でも年寄が「よく来たさあみんな持って行け」と言って供えてあった万重ボタ餅等全部をくれたので、子供は貰ったボタ餅等年長者が山分してくれるので子供は十五夜を楽しく待っていたものである。(注12)
〔注〕
(12)十五夜は一番楽しかったが、自分が年長になるころ(昭和八年頃)にはこの風習はすたれていた。私が小さい頃、子供たちがもらって歩く範囲は決まっていて、この辺はうち(大沼田の東端)から氏神様まで。