10.帯とき(現在の七、五、三祝)

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 昔から昭和五年頃までは、何処の家でも子供が生まれ数え年七才になると、七ツの祝帯ときと言って赤飯を炊き祝い之を重箱に入れて着物を新しく縫って貰ったのを着て氏神様に行き、神社に半紙を敷き赤飯を少し乗せて供え子供の健康と生長を祈り、重箱の残った赤飯はこの赤飯を貰うために寄って来た年寄や子供の手に箸で分けてやる。
 常食は麦飯だった当時の農家の婆さん達は、孫の手を引いてこの赤飯を貰って食べるのを楽しみに、「今度は何処其処の家で帯ときがある」と話合ってその日は孫の手を引いた年寄が多勢集まったものである。(注13)
〔注〕
(13)まずしい家の子にとっては、これは楽しかった。赤飯を手の平に箸でもらうのだが、いくらたべてもよかった。まずしい家の子にとって同じような楽しみといえば、葬式のときもそうで、親についていってふだん食べられないおいしい食事を食べることができた。