④昔の小平言葉を振り返って 長澤徳一

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 私は戦後の昭和二十三年生まれである。生まれ育ち働くことすべて小平市内で出来た。当時の小平はまだ、明治、大正生まれの方が周囲に沢山おられ、自宅も酒屋をしていたので、近所のおじさん、おばさん達が買い物に来たり、店先で飲んでいたりその中から自然と、しゃべる小平言葉が入って来るような環境にあった。
 昭和三十年代になると都営住宅があちこちに建設され、人口が徐々に増加していく社会背景があった。小学校でも標準語を務めてしやべるような風潮もあり、地元の子供もほとんど小平言葉を話さなくなった。
 市役所に就職し、昭和四十九年から五十四年まで議会事務局に勤務し、当時市議会議員の方々も明治、大正生まれの長老と言われる方がいて、その方々が話す小平言葉は、何か記録しておかなければ、消えて無くなってしまうと危機感を持った。最初の頃はしゃべっていることは理解出来ても、なかなか自分で言い出すことができず、積極的に話さないとしゃべれなくなると感じ、それ以降なるべく小平言葉を使い、話す努力をした。
 言語に関する専門的勉強もした訳ではないので、どのようにしていかなければいけないのか技法も知識もないが、日々聞き取った中から掲載して見た。
 ただ言葉は音の強弱、抑揚、などで大きく変わる部分もあり、文の中からどこまで伝わるか若干の不安が残るが、小平の昔を知る一助になれば幸いである。