口絵
序
凡例
目次
はじめに-小平の近世-
《地図を広げてみよう》
《『小平市史・近世編』を読んでみよう》
序章 村ができるまで-武蔵野がひらかれる-
第一節 南北に伸びる道と武蔵野-古代・中世-
1 都と国府を結ぶ道
武蔵野のイメージ
最も古い人の痕跡
武蔵国の成立
東山道武蔵路
八小遺跡について
2 鎌倉と各地を結ぶ道
武士団の活動と鎌倉幕府の成立
鎌倉街道上道
鎌倉街道上道と伝承
第二節 変化する武蔵野と丘陵の村-戦国時代~近世前期-
1 変化の起点としての戦国時代
幕府滅亡後の鎌倉
享徳の乱と交通路の変化
北条領国下の交通路
武蔵野における集落の成立
2 徳川家康の関東入国と首都江戸の建設
徳川家康の関東入国
青梅街道と石灰輸送
五日市街道と薪炭輸送
玉川上水の開削
3 丘陵の村から
村山村から岸村へ
岸村のすがた
岸村の土豪
開発に乗り出す土豪
第一章 村ができる-一七~一八世紀の村の開発と支配-
第一節 ひらかれる小川村-一七世紀の新田開発-
1 一七世紀の武蔵野開発のなかで
武蔵野の開発状況
小川九郎兵衛の開発願い
2 入村してくる者たち
「入村請書」という文書
入村者はどこから来たか
入村者の素性
3 開発のようす
延宝二年頃の小川村地割図
小川分水の開削
土地開発の進展
4 開発人小川家と入村者の関係
寛文九年検地と小川村の成立
小川家の地代銭取得特権
小川家による百姓助成
5 寛文・延宝年間の村方騒動
第一次騒動(寛文二年)
第二次騒動(延宝四・五年)
第三次騒動(延宝七・八年)
6 馬をあつかう人びと
小川村の馬
小川村を訪れた馬喰
小川村の口入人と馬喰・馬医
7 村のすがた
一七世紀末~一八世紀前半の小川村
小川村を構成する組
農業生産の状況
土地所有のあり方
コラム 近世の百姓に苗字はあったのか?
第二節 新たに生まれる村々-享保期の新田開発-
1 将軍吉宗・大岡忠相と新田開発
(1) 将軍吉宗と享保改革
吉宗の将軍就任
(2) 享保改革と武蔵野開発
幕府の新田開発
大岡忠相と武蔵野開発
小川村の「見取場」検地
(3) 大岡忠相の元文「新田場」検地
元文の大岡検地
廻り田新田の元文検地
村々の検地帳
検地後の展開
(4) 川崎定孝の桜植樹
川崎定孝の桜植樹
桜植樹の理由
小平市域史料の桜-将軍吉宗・大岡忠相・川崎定孝-
2 小川新田
(1) 開発までの経緯
小川弥市の開発願い
もう一つの開発願い
開発地の割り渡し
(2) 二つの区域
「出百姓分」と「持添分」
「持添分」の開発
「出百姓分」の開発
「出百姓分」の構成
(3) 開発期のくらし
村役人制度
年貢収納状況
土地の性格
新田名主家の成立
村のすがた
3 鈴木新田
(1) 貫井村と新田開発
近世の鈴木新田
貫井村の開発願い
野中善左衛門との協力
「貫井村願場」の開発許可
百姓への開発場割り渡し
(2) 「野中新田」の頃
利左衛門の開発場取り上げ
利左衛門の入村準備
名主源右衛門の「野中新田」
(3) 入村百姓のすがた
享保一一年以降の入村
入村百姓の出身地
(4) 鈴木新田の「独立」と野中新田村役人との出入
鈴木新田の「独立」と年貢割付
「野中新田」村役人を訴える
(5) 元文検地の実施
鈴木新田の地目と面積
鈴木新田の土地所持状況
(6) 鈴木新田の諸様相
川崎手代としての鈴木利左衛門
大長久保の田場
4 野中新田
(1) 上谷保村大堅と百姓の新田開発計画
近世の野中新田
上谷保村の大堅
新田発起と「矢沢新田」
江戸町人との共同開発計画
(2) 野中善左衞門の出資と「野中新田」の成立
野中善左衛門への出資依頼
開発場の割り渡し
開発場の売却と上谷保村百姓の撤退
「野中新田」となる
(3) 四つの「村」へ-与右衛門組・善左衛門組・六左衛門組・鈴木新田-
(4) 元文検地の実施
野中新田の地目と面積
野中新田の土地所持状況
(5) 野中新田の諸様相
善左衛門の名主役召し上げと帰役
野中新田の「組」と「村」
善左衛門組の「堀野中」
野中新田と江戸
大堅和尚の遺偈
5 大沼田新田
(1) 新田開発と當麻家の土地集積
大沼田新田の村域
大岱村の當麻家と新田開発
近隣村々からの開発場買い集め
二人の新田開発人
(2) 百姓のすがた
新田場の百姓
(3) 元文検地の実施
大沼田新田の地目と面積
大沼田新田の土地所持状況
(4) 村の地割と二種類の新田場
村の地割と地割絵図
二種類の新田場
(5) 名主役出入から村役人の固定まで
新田百姓の名主役設置要求
「百姓のために」働く伝兵衛
伝兵衛、名主代役となる
相名主の弥左衛門と伝兵衛-開発人両家-
弥十郎の入村と村役人の固定化
(6) 大沼田新田の諸様相
弥左衛門家と伝兵衛家
伝兵衛と久米川新田
新田の名称
6 廻り田新田
(1) 開発がはじまるまえ
廻り田村
開発反対運動
二分される廻り田村
(2) 斉藤太郎兵衛・忠兵衛と山田庄兵衛
斉藤太郎兵衛と代官岩手信猶
開発地の売却
山田庄兵衛の登場
年貢不納問題
土地の割り付け
廻り田新田の地割の特徴
地目の特徴
(4) 本村からの独立と開発由緒の成立
新田への移住
廻り田新田の出発
集落の形成
宝暦年間の土地所持状況
本村からの独立
村の歴史と序列
(5) ひらかれた廻り田新田のすがた
最初の村明細帳
廻り田新田の生業と風景
7 新田開発と寺社
(1) 小平市域における寺社の概観
地域の寺院や神社をみるにあたって
寺院の役割
神社の役割
武蔵野新田と寺社の概況
(2) 小川村と寺社の整備
小川村の景観と寺社
寺院の成立と入村請書
二つの菩提寺
小川家と両寺院
神明宮と山王社
開発と僧侶
小川新田開発と一本榎
宮崎家の動向と社号
期待される僧侶像
小川寺の火災
(3) 大沼田新田の成立と寺社
泉蔵院の成立
引寺完遂までの経緯-引寺反対の動向-
引寺完遂の裁許
泉蔵院留守居
泉蔵院の由緒と引寺経緯の整理
泉蔵院の引寺と周辺村
稲荷社をめぐる史料伝来
泉蔵院・稲荷社の普請とその管理
(4) 野中新田と寺社をめぐる様相
野中新田の成立と寺院
円成院の整備と野中新田の組分け
円成院の引寺と子院
子院・庵の存在
円成院の二つの特徴
四つの組と寺院
延命寺の初見と整備
宝林院と鳳林院
鈴木新田海岸寺の引寺
牛込済松寺と引寺
引寺の意味
コラム 新田開発の典型的事例として
第三節 支配する人たち-小平市域の支配の概要-
1 幕府直轄領と小平市域の代官支配
幕府直轄領とは
代官とは
地方と公事方
代官所の役人
2 小川村の開発と八王子十八代官
八王子十八代官
今井九右衛門忠昌
中川八郎左衛門
3 綱吉期以降の小川村支配代官
近山与左衛門正友
勘定所系代官の登場
小川村支配代官と幕府官僚制
4 享保改革と大岡支配役人
大岡忠相の地方御用拝命
岩手藤左衛門信猶
野村時右衛門・小林平六の救恤策と増徴
荻原源八郎乗秀
上坂安左衛門政形
5 川崎平右衛門と伊奈半左衛門
川崎平右衛門定孝の登場
川崎の救恤策
伊奈氏の支配の開始
江戸廻り代官支配の開始
6 近世後期の代官支配-伊奈氏の改易と馬喰町御用屋敷詰代官体制の確立-
寛政改革期の代官政策
伊奈半左衛門の改易と関東郡代の新設
伊奈友之助忠富
野田文蔵元清
7 文政改革と韮山代官支配の開始
文化文政期の関東代官
馬喰町御用屋敷詰代官支配の展開
江戸廻り代官早川八郎左衛門正紀
その後の江戸廻り代官支配
韮山代官支配の開始
8 開国期の代官支配
開国期の関東代官
韮山代官支配
江川太郎左衛門英敏
江戸廻り代官
9 幕末維新期の代官支配-関東幕領の再編と明治維新-
熊本藩預所をめぐる代官と地域
最幕末期の小平市域の支配
明治維新と代官支配の終焉
コラム 村人に慕われる代官たち
第四節 鷹場にくらす-尾張家鷹場の規制と負担-
1 江戸周辺の尾張家鷹場
将軍家鷹場と御三家鷹場
尾張家鷹場
尾張家の鷹場役人
2 近世前期の鷹場預り
「鷹場預り」の起源
鷹場預りの増員
鷹場預りの職務
生類憐みの令と鷹場の廃止
3 享保改革の鷹場復活
将軍家鷹場の復活
尾張家鷹場の復活
「鷹場預り案内」の任命
鷹場預り案内の交代
尾張家鷹場の調査
4 鷹場法度と規制・負担
鷹場法度
さまざまな規制と負担
①鷹場人足負担
②家作・普請願い
③鷹合札(たかあいふだ)・餌差札(えさしふだ)の管理
④鉄砲関係
⑤鷹餌の飼育
⑥水車稼
⑦案山子
⑧花火
⑨経済的負担
5 近世後期の尾張家鷹場
鷹場見廻
古役五家体制の崩壊
尾張家鷹場の天保改革
古役特権の否定
6 鷹場村々と尾張家
鷹場村々と尾張家
①尾張家当主の交代
②尾張家鷹狩と規制・負担
③幕府支配
④鷹場農民と幕府・尾張家
尾張家鷹場の廃止
第二章 村がなりたつ-一八~一九世紀の村-
第一節 村をまとめる-村役人と村政-
1 村と支配
村請制と新田村の村役人
法令の伝達
高札
村の掟
村の会計
2 村運営と村役人の交替
村役人の仕事と心得
村役人給
大沼田新田の村運営-名主と年寄-
大沼田新田の組頭設置
村役人の決定と交替
小川村組頭の交替
鈴木新田名主の交替
善左衛門組の組頭と組替え
村の五人組
3 さまざまな村役人のすがた
「上鈴木」の組頭
問題になった組頭
野中新田名主善左衛門
名主善左衛門と「堀端」の百姓
野中新田与右衛門組の元名主
与右衛門組の名称変更問題
新田村の年寄
コラム 親孝行と子育てのための組頭退役
第二節 年貢はどのように納められるのか-さまざまな負担-
1 百姓と年貢
年貢を納めるということ
百姓が負担する貢租の種類
2 村を単位に課され納められる年貢
村請制と年貢
年貢額の決定方法
貢租の内訳と推移
3 年貢賦課・収納に果たす村の役割
小川村における年貢賦課と収納
夏・秋の場合
冬の場合
百姓の自治と助け合いを育む村請制
コラム 本百姓・脇百姓・水呑百姓、そして「上水呑」
第三節 村のくらしを支える-困窮者救済のしくみと変化-
1 御救いの後退
御救いとは何か
小川村へのさまざまな助成
享保期の新田開発と助成
助成方法の変化
御救いの後退とその影響
2 新たな救済制度
貯穀制度の導入
貯穀の蓄積状況と分配
川崎平右衛門の肥料貸付
養料金并溜雑穀制度
武蔵野新田と古村の差異化
3 地域振興の試み
古村としての小川村
市場の開設
玉川上水の通船計画へ
甘薯の試作
水田の造成計画
4 村として取り組む困窮者救済
新たな救済方法の導入
明和七・八年の村方騒動
開発人の危機と村
村の変化
第四節 人びとのくらしとつながり-家族と生活-
1 家数と人口
家数と人口の推移
家族構成
年齢構成
2 家と家族
近世の「家」と家族
家の相続
一家による相続
家名の継承
分家の創出
女性当主
大沼田新田のなつ
大沼田新田のはつ
結婚・離婚・再婚
嫁と婿
子どもの誕生
寿命
3 人びとの生活圏
通婚圏
連光寺村名主家への嫁入り
出稼ぎと奉公
コラム 女性の生き方-連光寺村に嫁いだもう一人の女性-
第五節 人は何を信じていたのか-寺社・宗教-
1 小平市域の信仰空間
信仰心を考えるにあたって
青梅街道沿いに展開する寺社
青梅街道と寛永寺
寺院の境内地を考える
神社の境内地を考える
屋敷に残る神々
廻り田新田と寺社
2 伝来する信仰関係資料
重なりあう信仰の様相
庚申信仰をめぐって
動物へのまなざし
神社を建てること-棟札情報を読む-
小平市域郊外の寺社への信仰
3 さまざまな宗教者と地域
民間に生きる宗教者と宗教的な「知」
他地域から訪れる宗教者
宮崎家と神葬祭
神主の立場と復古意識
熊野宮宮崎家の活動
4 宗教をめぐる人びとの関心
伝兵衛・弥左衛門の宗教的活動
松尾講への加入
廻り田新田における宗教的「知」
信仰心のありよう
第六節 玉川上水と生きる-玉川上水・分水と村のくらし-
1 玉川上水の開削と管理組織
江戸の発展と上水道の整備
玉川上水開削のようす
管理組織
2 玉川上水の管理と村の負担
持場村への編成
持場村の負担
土手の草刈り
通行する役人への対応
植樹と橋普請
3 水利用のあり方と変化
開発と分水
水車を仕掛ける
玉川上水通船にいたるまで
通船の実現と廃止
分水口の改正へ
4 村と分水
小川村の小川分水
小川分水の分水口
水料金の負担
小川村と野火止用水
小川新田の分水
玉川上水縁の水汲み場
廻り田新田を流れる分水
廻り田新田の分水利用
鈴木新田を流れる分水
悪水堀と田場
大沼田新田の三つの分水
大沼田新田上分呑水の埋樋
分水口を利用する村と普請
分水口普請のようす
第七節 権利をめぐって-争論と訴訟-
1 近世の争論と訴訟
村の出入
扱人の存在
済口証文
2 水をめぐる争論-安永期の采女堀争論-
争論が起こる前
安永期の采女堀争論
争論一旦解決
再論となる
再び裁許へ
争論に際しての村入用
水の確保と村の争論
3 村境をめぐる争論-文化期の村境争論-
争論の経過
双方の主張
吟味、奉行所扱いとなる
内済へ
争論の結果
廻り田新田の不満
小川新田と廻り田新田
新田村の文書と争論
4 二つに分かれた大沼田新田
大沼田新田の出入
天保一二年の地所出入
江戸出府と滞在
長引く吟味
訴訟慣れする百姓
地所出入の内済
縁談出入
名主弥左衛門の主張
出入の終結
出入と村役人
コラム 郷宿と村
第八節 村に住む武士-村からみた士と農-
1 近世の村から武士をみる視点
「士農工商」と「兵農分離」
小平市域の兵農分離と村の武士
2 新田開発と武家抱屋敷
抱屋敷とは
抱屋敷の持ち主たち
小川村の開発と抱屋敷
地所を売り渡す百姓
屋敷主と屋守
抱屋敷の機能
抱屋敷の近親間での売買
手放されてゆく抱屋敷
一七世紀の新田開発と抱屋敷
3 支配を支える人びと
「御用」を請け苗字帯刀する村人たち
尾張家鷹場の維持管理-鷹場預り案内役-
案内役の身分と格式
「御用」を請け負う人びと
4 小平市域の千人同心と幕末の戦争
在村同心の広がり
當麻勇蔵の日光勤番と武芸稽古
海防と村が求める同心株
幕末の戦争と村の千人同心
コラム 千人同心田村金右衛門の明細短冊
第九節 伝えられる文書-村の文書作成・保管・引継-
1 文書と支配
近世を知るために
文書による支配
支配役所から村への通達
村から役所への提出①-村明細帳-
村から役所への提出②-宗門人別帳-
2 文書の作成と利用
文書を作成する人びと
村の記録
文書の利用
文書の管理と引継
3 新田開発と文書の作成
新田開発の願書と割渡証文
開発関係文書の「委託」
土地の移動と文書の移動
入村者の記録
4 村の文書と印
百姓の捺印
小川村の惣百姓印
印の形態と変化
印に刻まれた実名
印の相続
爪印
捺印をめぐる争い
村の印
近世の文書がもたらしたもの
第三章 村がかわる-一九世紀、村の幕末維新-
第一節 広がる格差と村の対応-近世後期の村と経済-
1 生産と生活の高まり
安定化する村のなかで
金肥の導入と商品生産
農間渡世の展開
百姓の階層分化と村
2 豪農の登場と百姓
「有徳の百姓」とは何者か
豪農経営の推移①-當麻伝兵衛家の場合-
豪農経営の推移②-當麻弥左衛門家の場合-
小川家の御用商人的活動
3 地域の成長と江戸
青物販売の変化
問屋への対抗
粉の直接販売を求めて①-文政一一年の争論-
粉の直接販売を求めて②-安政三年の争論と嘆願-
水車稼人仲間の結成
4 広がる格差への対応
小川村における階層分化
天保飢饉における困窮者救済
糠の確保をめぐって
第二節 人びとは何を学んだか-近世後期の教育環境-
1 小平市域の手習塾
手習塾の所在確認方法
多様な師匠
専門性と多様性
入門圏の広がり
2 地域に根ざした往来物
学習課程
地域の地理を学ぶ
文書の書き方を学ぶ
江戸の地理を学ぶ
3 女子の学習
女子の就学
女子の学習課程
女子学習のテキストの普及
4 村役人の資質
村請制と村役人の資質
村役人の資質形成
第三節 人びとのたしなみ-近世後期の文化活動-
1 小平の俳諧文化
小平地域の俳人
小平文化圏の確立へ
広域文化圏との結節
2 庶民の旅
小平と旅
庶民の旅を支えた社会基盤
覚悟の旅路
旅をする人びと
旅の手引き
旅先での体験
旅の記録
3 小平地域の医学
小平市域の医師
小川東磻と喜連川茂氏の診療
医学修行
村役人と医学
医学の普及と限界
コラム 小平地域の蔵書
第四節 桜を育てる-玉川上水堤桜並木をめぐる人びと-
1 名所「金橋桜花」の誕生
玉川上水堤桜並木の呼称
名所になるまで
玉川上水堤桜並木の特徴
出版文化と『武野八景』
2 創られる名所「金橋桜花」
イメージとして共有される「金橋桜花」
富士と玉川上水堤桜並木
柏屋勘兵衛
3 地域にとっての玉川上水堤桜
地域住民にとっての玉川上水
桜植樹後の玉川上水堤
上水堤芝野の専有権と年貢負担
花見の季節の騒動
4 桜樹の補植事業
桜樹の枯木化
地域住民による植樹
地域住民による管理
5 二つの建碑事業
文化七年の建碑事業
嘉永四年の建碑事業
コラム 「金橋桜花」を描いた二つの錦絵
第五節 村を守る-治安悪化と幕府・地域の対応-
1 関東取締出役と改革組合村
関東取締出役の設置
改革組合村の設立
文政改革の趣旨
改革組合村の概要
田無宿寄場組合のしくみ
小川村組合結成への志向
2 異国船情報と地域の対応
地域へもたらされる異国船情報
ペリー来航と小平市域の村々
海防体制の再編と村役人の献金
「国」の登場
3 アウトローの時代
慶応水滸伝の世界
幸八と多摩のアウトロー勢力圏
幸八の最期
幸蔵の登場
幸蔵の帰村
幸蔵の最期
アウトローと地域社会
4 武装する村人
江川農兵の発案
動員の論理
小平市域の農兵の概要
農兵の訓練と自意識
幕領兵賦の展開
コラム 近藤勇の母と兄
第六節 幕末の三つのたたかい-助郷反対運動・武州世直し一揆・戊辰戦争-
1 助郷反対運動
慶応二年九月の関前村ほか二〇か村からの肥料代金下付願い
助郷役など交通・運送の役負担
武蔵野新田が助郷免除される理由
拡大される助郷役
2 武州世直し一揆と農兵のたたかい
農兵の動員
武州世直し一揆の勃発
「見掛次第可切殺」
幸蔵の活躍
農兵と地域
観音崎台場の警衛
その後の農兵
3 戊辰戦争と小平市域の村々-官軍・振武軍・仁義隊-
政局情報と小平市域の村々
官軍の通行と負担
多摩の戊辰戦争
仁義隊の感状
上野戦争と振武軍・仁義隊
時代の変化
コラム 村の鉄砲の行方
第七節 品川県庁に押しかける-品川県の成立と御門訴事件-
1 御門訴事件の背景
御門訴起こる
江戸近郊の直轄県と地域社会
2 品川県社倉政策の推進と御門訴事件の経緯
発端-新しい社倉制度の強制-
集団直訴へ
蓑笠姿で出発する
厳しい尋問と処罰
3 御門訴事件の歴史的意義
品川県知事古賀一平の新しい施策の評価
関前村・関前新田名主忠左衛門
忠左衛門とは異なる村落指導者層
「御門訴」で獲得したもの
近世最後の民衆運動としての御門訴事件
おわりに
《本編の内容-まとめにかえて-》
近世編の構成
村ができるまで
村ができる-村の開発-
村がなりたつ-存立と安定-
村がかわる-変化の様相-
《「はじめに」の三つの視点から》
「平和」をみる
開発をみる
江戸をみる
地域をみる
小川村と武蔵野新田
《近代へ-名主・組頭から戸長・副戸長へ-》
《村のすがた・百姓のすがた》
参考文献・史料
資料提供者・提供機関及び協力者・協力機関
執筆担当者
市史編さん関係者
[奥付]