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口絵
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はじめに-小平の近世-……………1
序章 村ができるまで-武蔵野がひらかれる-
第一節 南北に伸びる道と武蔵野-古代・中世-……………11
1 都と国府を結ぶ道……………11
武蔵野のイメージ 最も古い人の痕跡 武蔵国の成立 東山道武蔵路 八小遺跡について
2 鎌倉と各地を結ぶ道……………17
武士団の活動と鎌倉幕府の成立 鎌倉街道上道 鎌倉街道上道と伝承
第二節 変化する武蔵野と丘陵の村-戦国時代~近世前期-……………21
1 変化の起点としての戦国時代……………21
幕府滅亡後の鎌倉 享徳の乱と交通路の変化 北条領国下の交通路 武蔵野における集落の成立
2 徳川家康の関東入国と首都江戸の建設……………26
徳川家康の関東入国 青梅街道と石灰輸送 五日市街道と薪炭輸送 玉川上水の開削
3 丘陵の村から……………31
村山村から岸村へ 岸村のすがた 岸村の土豪 開発に乗り出す土豪
第一章 村ができる-一七~一八世紀の村の開発と支配-
第一節 ひらかれる小川村-一七世紀の新田開発-……………39
1 一七世紀の武蔵野開発のなかで……………39
武蔵野の開発状況 小川九郎兵衛の開発願い
2 入村してくる者たち……………43
「入村請書」という文書 入村者はどこから来たか 入村者の素性
3 開発のようす……………49
延宝二年頃の小川村地割図 小川分水の開削 土地開発の進展
4 開発人小川家と入村者の関係……………55
寛文九年検地と小川村の成立 小川家の地代銭取得特権 小川家による百姓助成
5 寛文・延宝年間の村方騒動……………60
第一次騒動(寛文二年) 第二次騒動(延宝四・五年) 第三次騒動(延宝七・八年)
6 馬をあつかう人びと……………69
小川村の馬 小川村を訪れた馬喰 小川村の口入人と馬喰・馬医
7 村のすがた……………75
一七世紀末~一八世紀前半の小川村 小川村を構成する組 農業生産の状況 土地所有のあり方
コラム 近世の百姓に苗字はあったのか?……………82
第二節 新たに生まれる村々-享保期の新田開発-……………84
1 将軍吉宗・大岡忠相と新田開発……………84
(1)将軍吉宗と享保改革……………84
吉宗の将軍就任
(2)享保改革と武蔵野開発……………87
幕府の新田開発 大岡忠相と武蔵野開発 小川村の「見取場」検地
(3)大岡忠相の元文「新田場」検地……………93
元文の大岡検地 廻り田新田の元文検地 村々の検地帳 検地後の展開
(4)川崎定孝の桜植樹……………99
川崎定孝の桜植樹 桜植樹の理由 小平市域史料の桜-将軍吉宗・大岡忠相・川崎定孝-
2 小川新田……………114
(1)開発までの経緯……………114
小川弥市の開発願い もう一つの開発願い 開発地の割り渡し
(2)二つの区域……………117
「出百姓分」と「持添分」 「持添分」の開発 「出百姓分」の開発 「出百姓分」の構成
(3)開発期のくらし……………124
村役人制度 年貢収納状況 土地の性格 新田名主家の成立 村のすがた
3 鈴木新田……………130
(1)貫井村と新田開発……………130
近世の鈴木新田 貫井村の開発願い 野中善左衛門との協力 「貫井村願場」の開発許可 
百姓への開発場割り渡し
(2)「野中新田」の頃……………138
利左衛門の開発場取り上げ 利左衛門の入村準備 名主源右衛門の「野中新田」
(3)入村百姓のすがた……………141
享保一一年以降の入村 入村百姓の出身地
(4)鈴木新田の「独立」と野中新田村役人との出入……………144
鈴木新田の「独立」と年貢割付 「野中新田」村役人を訴える
(5)元文検地の実施 ……………148
鈴木新田の地目と面積 鈴木新田の土地所持状況
(6)鈴木新田の諸様相……………151
村のすがた 川崎手代としての鈴木利左衛門 大長久保の田場
4 野中新田……………154
(1)上谷保村大堅と百姓の新田開発計画……………154
近世の野中新田 上谷保村の大堅 新田発起と「矢沢新田」 江戸町人との共同開発計画
(2)野中善左衞門の出資と「野中新田」の成立……………159
野中善左衛門への出資依頼 開発場の割り渡し 開発場の売却と上谷保村百姓の撤退 
入村百姓の出身地 「野中新田」となる
(3)四つの「村」へ-与右衛門組・善左衞門組・六左衞門組・鈴木新田-……………163
(4)元文検地の実施……………164
野中新田の地目と面積 野中新田の土地所持状況
(5)野中新田の諸様相……………167
善左衛門の名主役召し上げと帰役 村のすがた 野中新田の「組」と「村」 
善左衛門組の「堀野中」 野中新田と江戸 大堅和尚の遺偈
5 大沼田新田……………173
(1)新田開発と當麻家の土地集積……………173
大沼田新田の村域 大岱村の當麻家と新田開発 近隣村々からの開発場買い集め 
二人の新田開発人
(2)百姓のすがた……………176
新田場の百姓 入村百姓の出身地
(3)元文検地の実施……………180
大沼田新田の地目と面積 大沼田新田の土地所持状況
(4) 村の地割と二種類の新田場……………182
村の地割と地割絵図 二種類の新田場
(5)名主役出入から村役人の固定まで……………185
新田百姓の名主役設置要求 「百姓のために」働く伝兵衛 伝兵衛、名主代役となる 
相名主の弥左衛門と伝兵衛-開発人両家- 弥十郎の入村と村役人の固定化
(6)大沼田新田の諸様相……………189
村のすがた 弥左衛門家と伝兵衛家 伝兵衛と久米川新田 新田の名称
6 廻り田新田……………196
(1)開発がはじまるまえ……………196
廻り田村 開発反対運動 二分される廻り田村
(2)斉藤太郎兵衛・忠兵衛と山田庄兵衛……………198
斉藤太郎兵衛と代官岩手信猶 開発地の売却 山田庄兵衛の登場 年貢不納問題
(3)元文検地の実施……………203
土地の割り付け 廻り田新田の地割の特徴 地目の特徴
(4)本村からの独立と開発由緒の成立……………206
新田への移住 廻り田新田の出発 集落の形成 宝暦年間の土地所持状況 本村からの独立 
村の歴史と序列
(5)ひらかれた廻り田新田のすがた……………212
最初の村明細帳 廻り田新田の生業と風景
7 新田開発と寺社……………215
(1)小平市域における寺社の概観  ……………215
地域の寺院や神社をみるにあたって 寺院の役割 神社の役割 武蔵野新田と寺社の概況
(2)小川村と寺社の整備……………220
小川村の景観と寺社 寺院の成立と入村請書 二つの菩提寺 小川家と両寺院 
神明宮と山王社 開発と僧侶 小川新田開発と一本榎 宮崎家の動向と社号 
期待される僧侶像 小川寺の火災
(3)大沼田新田の成立と寺社……………229
泉蔵院の成立 引寺完遂までの経緯-引寺反対の動向- 引寺完遂の裁許 泉蔵院留守居 
泉蔵院の由緒と引寺経緯の整理 泉蔵院の引寺と周辺村 稲荷社をめぐる史料伝来 
泉蔵院・稲荷社の普請とその管理
(4) 野中新田と寺社をめぐる様相……………238
野中新田の成立と寺院 円成院の整備と野中新田の組分け 円成院の引寺と子院 
子院・庵の存在 円成院の二つの特徴 四つの組と寺院 延命寺の初見と整備 
宝林院と鳳林院 鈴木新田海岸寺の引寺 牛込済松寺と引寺 引寺の意味
コラム 新田開発の典型的事例として……………252
第三節 支配する人たち-小平市域の支配の概要-……………253
1 幕府直轄領と小平市域の代官支配……………253
幕府直轄領とは 代官とは 地方と公事方 代官所の役人
2 小川村の開発と八王子十八代官……………255
八王子十八代官 今井九右衛門忠昌 中川八郎左衛門
3 綱吉期以降の小川村支配代官……………259
近山与左衛門正友 勘定所系代官の登場 小川村支配代官と幕府官僚制
4 享保改革と大岡支配役人……………261
大岡忠相の地方御用拝命 岩手藤左衛門信猶 野村時右衛門・小林平六の救恤策と増徴 
荻原源八郎乗秀 上坂安左衛門政形
5 川崎平右衛門と伊奈半左衛門……………267
川崎平右衛門定孝の登場 川崎の救恤策 伊奈氏の支配の開始 江戸廻り代官支配の開始
6 近世後期の代官支配-伊奈氏の改易と馬喰町御用屋敷詰代官体制の確立-……………273
寛政改革期の代官政策 伊奈半左衛門の改易と関東郡代の新設 伊奈友之助忠富 野田文蔵元清
7 文政改革と韮山代官支配の開始……………275
文化文政期の関東代官 馬喰町御用屋敷詰代官支配の展開 江戸廻り代官早川八郎左衛門正紀 
その後の江戸廻り代官支配 韮山代官支配の開始
8 開国期の代官支配……………281
開国期の関東代官 韮山代官支配 江川太郎左衛門英敏 江戸廻り代官
9 幕末維新期の代官支配-関東幕領の再編と明治維新- ……………284
熊本藩預所をめぐる代官と地域 最幕末期の小平市域の支配 明治維新と代官支配の終焉
コラム 村人に慕われる代官たち……………289
第四節 鷹場にくらす-尾張家鷹場の規制と負担-……………291
1 江戸周辺の尾張家鷹場 ……………291
将軍家鷹場と御三家鷹場 尾張家鷹場 尾張家の鷹場役人
2 近世前期の鷹場預り……………296
「鷹場預り」の起源 鷹場預りの増員 鷹場預りの職務 生類憐みの令と鷹場の廃止
3 享保改革の鷹場復活……………299
将軍家鷹場の復活 尾張家鷹場の復活 「鷹場預り案内」の任命 鷹場預り案内の交代 
尾張家鷹場の調査
4 鷹場法度と規制・負担……………306
鷹場法度 さまざまな規制と負担
5 近世後期の尾張家鷹場 ……………314
鷹場見廻 古役五家体制の崩壊 尾張家鷹場の天保改革 古役特権の否定
6 鷹場村々と尾張家……………318
鷹場村々と尾張家 尾張家鷹場の廃止
第二章 村がなりたつ-一八~一九世紀の村-
第一節 村をまとめる-村役人と村政- ……………329
1 村と支配……………329
村請制と新田村の村役人 法令の伝達 高札 村の掟 村の会計
2 村運営と村役人の交替……………339
村役人の仕事と心得 村役人給 大沼田新田の村運営-名主と年寄- 大沼田新田の組頭設置 
村役人の決定と交替 小川村組頭の交替 鈴木新田名主の交替善左衛門組の組頭と組替え 
村の五人組
3 さまざまな村役人のすがた……………350
「上鈴木」の組頭 問題になった組頭 野中新田名主善左衛門 名主善左衛門と「堀端」の百姓 
野中新田与右衛門組の元名主 与右衛門組の名称変更問題 新田村の年寄
コラム 親孝行と子育てのための組頭退役……………358
第二節 年貢はどのように納められるのか-さまざまな負担-……………360
1 百姓と年貢……………360
年貢を納めるということ 百姓が負担する貢租の種類
2 村を単位に課され納められる年貢……………362
村請制と年貢 年貢額の決定方法 貢租の内訳と推移
3 年貢賦課・収納に果たす村の役割……………369
小川村における年貢賦課と収納 夏・秋の場合 冬の場合 百姓の自治と助け合いを育む村請制
コラム 本百姓・脇百姓・水呑百姓、そして「上水呑」……………378
第三節 村のくらしを支える-困窮者救済のしくみと変化-……………380
1 御救いの後退……………380
御救いとは何か 小川村へのさまざまな助成 享保期の新田開発と助成 助成方法の変化 
御救いの後退とその影響
2 新たな救済制度……………385
貯穀制度の導入 貯穀の蓄積状況と分配 川崎平右衛門の肥料貸付 養料金并溜雑穀制度 
武蔵野新田と古村の差異化
3 地域振興の試み……………391
古村としての小川村 市場の開設 玉川上水の通船計画へ 甘薯の試作 水田の造成計画
4 村として取り組む困窮者救済……………398
新たな救済方法の導入 明和七・八年の村方騒動 開発人の危機と村 村の変化
第四節 人びとのくらしとつながり-家族と生活-……………403
1 家数と人口……………403
家数と人口の推移 家族構成 年齢構成
2 家と家族……………411
近世の「家」と家族 家の相続 一家による相続 家名の継承 分家の創出 女性当主  
大沼田新田のなつ 大沼田新田のはつ 結婚・離婚・再婚 嫁と婿 子どもの誕生 寿命
3 人びとの生活圏……………423
通婚圏 連光寺村名主家への嫁入り 出稼ぎと奉公
コラム 女性の生き方-連光寺村に嫁いだもう一人の女性-……………432
第五節 人は何を信じていたのか-寺社・宗教-……………433
1 小平市域の信仰空間……………433
信仰心を考えるにあたって 青梅街道沿いに展開する寺社 青梅街道と寛永寺 
寺院の境内地を考える 神社の境内地を考える 屋敷に残る神々 廻り田新田と寺社
2 伝来する信仰関係資料……………443
重なりあう信仰の様相 庚申信仰をめぐって 動物へのまなざし  
神社を建てること-棟札情報を読む- 小平市域郊外の寺社への信仰
3 さまざまな宗教者と地域……………449
民間に生きる宗教者と宗教的な「知」 他地域から訪れる宗教者 宮崎家と神葬祭 
神主の立場と復古意識 熊野宮宮崎家の活動
4 宗教をめぐる人びとの関心……………454
伝兵衛・弥左衛門の宗教的活動 松尾講への加入 廻り田新田における宗教的「知」 
信仰心のありよう
第六節 玉川上水と生きる-玉川上水・分水と村のくらし-……………461
1 玉川上水の開削と管理組織……………461
江戸の発展と上水道の整備 玉川上水開削のようす 管理組織
2 玉川上水の管理と村の負担……………466
持場村への編成 持場村の負担 土手の草刈り 通行する役人への対応 植樹と橋普請
3 水利用のあり方と変化……………472
開発と分水 水車を仕掛ける 玉川上水通船にいたるまで 通船の実現と廃止 分水口の改正へ
4 村と分水……………480
小川村の小川分水 小川分水の分水口 水料金の負担 小川村と野火止用水 小川新田の分水 
玉川上水縁の水汲み場 廻り田新田を流れる分水 廻り田新田の分水利用 
鈴木新田を流れる分水 悪水堀と田場 大沼田新田の三つの分水 
大沼田新田上分飲み水の埋樋 分水口を利用する村と普請 分水口普請のようす
第七節 権利をめぐって-争論と訴訟-……………497
1 近世の争論と訴訟……………497
村の出入 扱人の存在 済口証文
2 水をめぐる争論-安永期の采女堀争論-……………500
争論が起こる前 安永期の采女堀争論 争論一旦解決 再論となる 再び裁許へ 
争論に際しての村入用 水の確保と村の争論
3 村境をめぐる争論-文化期の村境争論-……………506
争論が起こる前 争論の経過 双方の主張 吟味、奉行所扱いとなる 内済へ 
争論の結果 廻り田新田の不満 小川新田と廻り田新田 新田村の文書と争論
4 二つに分かれた大沼田新田 ……………514
大沼田新田の出入 天保一二年の地所出入 江戸出府と滞在 長引く吟味 訴訟慣れする百姓 
地所出入の内済 縁談出入 名主弥左衛門の主張 出入の終結 出入と村役人
コラム 郷宿と村……………525
第八節 村に住む武士-村からみた士と農-……………527
1 近世の村から武士をみる視点……………527
「士農工商」と「兵農分離」 小平市域の兵農分離と村の武士
2 新田開発と武家抱屋敷……………528
抱屋敷とは 抱屋敷の持ち主たち 小川村の開発と抱屋敷 地所を売り渡す百姓 
屋敷主と屋守抱屋敷の機能 抱屋敷の近親間での売買 手放されてゆく抱屋敷 
一七世紀の新田開発と抱屋敷
3 支配を支える人びと……………540
「御用」を請け苗字帯刀する村人たち 尾張家鷹場の維持管理-鷹場預り案内役- 
案内役の身分と格式 「御用」を請け負う人びと
4 小平市域の千人同心と幕末の戦争……………550
在村同心の広がり 當麻勇蔵の日光勤番と武芸稽古 海防と村が求める同心株 
幕末の戦争と村の千人同心
コラム 千人同心田村金右衛門の明細短冊……………563
第九節 伝えられる文書-村の文書作成・保管・引継-……………564
1 文書と支配……………564
近世を知るために 文書による支配 支配役所から村への通達 
村から役所への提出①-村明細帳- 村から役所への提出②-宗門人別帳-
2 文書の作成と利用……………575
文書を作成する人びと 村の記録 文書の利用 文書の管理と引継
3 新田開発と文書の作成……………582
新田開発の願書と割渡証文 開発関係文書の「委託」 土地の移動と文書の移動 入村者の記録
4 村の文書と印……………586
百姓の捺印 小川村の惣百姓印 印の形態と変化 印に刻まれた実名 印の相続 爪印 
捺印をめぐる争い 村の印 近世の文書がもたらしたもの
第三章 村がかわる-一九世紀、村の幕末維新-
第一節 広がる格差と村の対応-近世後期の村と経済-……………595
1 生産と生活の高まり……………595
安定化する村のなかで 金肥の導入と商品生産 農間渡世の展開 百姓の階層分化と村
2 豪農の登場と百姓……………599
「有徳の百姓」とは何者か 豪農経営の推移①-當麻伝兵衛家の場合- 
豪農経営の推移②-當麻弥左衛門家の場合- 小川家の御用商人的活動
3 地域の成長と江戸……………607
青物販売の変化 問屋への対抗 粉の直接販売を求めて①-文政一一年の争論- 
粉の直接販売を求めて②-安政三年の争論と嘆願- 水車稼人仲間の結成
4 広がる格差への対応……………615
小川村における階層分化 天保飢饉における困窮者救済 糖の確保をめぐって
第二節 人びとは何を学んだか-近世後期の教育環境-……………622
1 小平市域の手習塾……………622
手習塾の所在確認方法 多様な師匠 専門性と多様性 入門園の広がり
2 地域に根ざした往来物……………633
学習課程 地域の地理を学ぶ 文書の書き方を学ぶ 江戸の地理を学ぶ
3 女子の学習……………638
女子の就学 女子の学習課程 女子学習のテキストの普及
4 村役人の資質……………644
村請制と村役人の資質 村役人の資質形成
第三節 人びとのたしなみ-近世後期の文化活動-……………649
1 小平の俳諧文化……………649
小平地域の俳人 小平文化圏の確立へ 広域文化圏との結節
2 庶民の旅……………657
小平と旅 庶民の旅を支えた社会基盤 覚悟の旅路 旅をする人びと 旅の手引き 
旅先での体験 旅の記録
3 小平地域の医学……………670
小平市域の医師 小川東〓と喜連川茂氏の診療 医学修行 村役人と医学 医学の普及と限界
コラム 小平地域の蔵書……………676
第四節 桜を育てる-玉川上水堤桜並木をめぐる人びと-……………678
1 名所「金橋桜花」の誕生……………678
玉川上水堤桜並木の呼称 名所になるまで 玉川上水堤桜並木の特徴 出版文化と『武野八景』
2 創られる名所「金橋桜花」……………686
イメージとして共有される「金橋桜花」 富士と玉川上水堤桜並木 柏屋勘兵衛
3 地域にとっての玉川上水堤桜……………690
地域住民にとっての玉川上水 桜植樹後の玉川上水堤 上水堤芝野の専有権と年貢負担 
花見の季節の騒動
4 桜樹の補植事業……………695
桜樹の枯木化 地域住民による植樹 地域住民による管理
5 二つの建碑事業……………698
文化七年の建碑事業 嘉永四年の建碑事業
コラム 「金橋桜花」を描いた二つの錦絵……………706
第五節 村を守る-治安悪化と幕府・地域の対応-……………708
1 関東取締出役と改革組合村……………708
関東取締出役の設置 改革組合村の設立 文政改革の趣旨 改革組合村の概要 
田無宿寄場組合のしくみ 小川村組合結成への志向
2 異国船情報と地域の対応……………717
地域へもたらされる異国船情報 ペリー来航と小平市域の村々 海防体制の再編と村役人の献金 
「国」の登場
3 アウトローの時代……………723
慶応水滸伝の世界 幸八と多摩のアウトロー勢力圏 幸八の最期 幸蔵の登場 幸蔵の帰村 
幸蔵の最期 アウトローと地域社会
4 武装する村人……………734
江川農兵の発案 動員の論理 小平市域の農兵の概要 農兵の訓練と自意識 幕領兵賦の展開
コラム 近藤勇の母と兄……………745
第六節 幕末の三つのたたかい-助郷反対運動・武州世直し一揆・戊辰戦争-……………747
1 助郷反対運動……………747
慶応二年九月の関前村ほか二〇か村からの肥料代金下付願い 助郷役など交通・運送の役負担
郷役 武蔵野新田が助郷免除される理由 拡大される助
2 武州世直し一揆と農兵のたたかい……………761
農兵の動員 武州世直し一揆の勃発 「見掛次第可切殺」 幸蔵の活躍 農兵と地域 
観音崎台場の警衛 その後の農兵
3 戊辰戦争と小平市域の村々-官軍・振武軍・仁義隊-……………771
政局情報と小平市域の村々 官軍の通行と負担 多摩の戊辰戦争 仁義隊の感状 
上野戦争と振武軍・仁義隊 時代の変化
コラム 村の鉄砲の行方……………778
第七節 品川県庁に押しかける-品川県の成立と御門訴事件-……………780
1 御門訴事件の背景……………780
御門訴起こる 江戸近郊の直轄県と地域社会
2 品川県社倉政策の推進と御門訴事件の経緯……………785
発端-新しい社倉制度の強制- 集団直訴へ 蓑笠姿で出発する 厳しい尋問と処罰
3 御門訴事件の歴史的意義……………800
品川県知事古賀一平の新しい施策の評価 関前村・関前新田名主忠左衛門 
忠左衛門とは異なる村落指導者層 「御門訴」で獲得したもの 
近世最後の民衆運動としての御門訴事件 
おわりに……………809
参考文献……………823
資料提供者・提供機関及び協力者・協力機関
執筆担当者
市史編さん関係者