昭和四九年(一九七四)に、鈴木遺跡(すずきいせき)(現鈴木町一丁目、回田町、御幸町地内)が発見されたことにより、小平市域の最も古い人の活動の跡は約三万年前にまで遡ることになった。
鈴木遺跡は、石神井川(しゃくじいがわ)のかつての源流部をとりまく丘陵上に位置し、旧石器時代の約三万年前~一万年前の間に、繰り返し人びとの生活が営まれていた跡である。この場所で生活を営んだのは、約四万年前には現れていた、現代人も含まれる「新人」である(化石人骨としてはヨーロッパのクロマニヨン人などが有名)。
彼らが生活を営んだ頃は氷河期の最末期で、日本列島周辺の海面は今より約一〇〇メートルも低く、列島全体が一つの島となり、また、ユーラシア大陸とも地続きであった。そのため、大陸からマンモス・ゾウ・ヘラシカ・オオカミなど多くの動物がやってきた。当時の人びとはこれらの動物を対象に狩猟をしたり、木の実などを採取したりして生活していた。しかし、食べ物の入手は容易でなく、彼らは、二~三家族の小さなグループで生活し、食物を求めて住む場所を頻繁に移動しなくてはならなかった。鈴木遺跡は、こうした場所の一つだった。
旧石器時代末期から縄文時代初め、石神井川の水源がより下流に移ると、この地で集落が営まれることはなくなったが、引き続き狩猟・採取の場として用いられたようである。しかし、弥生時代となり、農業が行われるようになったのちは、自然の水に乏しい鈴木遺跡の場所は、ほとんど利用されなくなる。