図1-2 青梅村長兵衛らの入村請書
明暦2年12月「指上申一札之事」(史料集12、p.169)
この入村請書は、入村者の青梅村長兵衛が、二名の請人(うけにん)(身元引き受け人)と名主(なぬし)を立て、開発人の小川九郎兵衛に提出したものである。請書の内容は五か条からなり、①長兵衛は、身元確かな者であり、幕府の法度に背いたり、悪事を働いたりしないこと、②同人の入村には誰からも苦情は出ないこと、③屋敷地を割り渡されたので、家屋敷を建て、妻子とともに小川村へ引っ越してきて、幕府からの課役をしっかり勤めること、④小川村は御伝馬宿なので、馬を持ち、幕府からの課役と町内の課役をしっかり勤めること、⑤キリシタンではないこと、以上の五点について、請人の青梅村清左衛門・四郎兵衛および同村名主惣右衛門が請け合うというものである。これらの内容から、小川村への入村にあたり求められた条件がどういうものであったのかを知ることができるが、とくに、④にみえるように、馬を持つことが入村条件となっていたことは、小川村が青梅街道の田無・箱根ヶ崎をはじめ、平井(ひらい)・日野(ひの)・清戸(きよと)・府中(ふちゅう)・所沢村(ところざわむら)など各所への交通の要衝に位置し、宿駅としての機能をあわせ持っていたことが反映されているといえる。
小川村への入村を希望する者は、このような入村請書を作成し、小川家へ提出した。そのため、開発人小川家のもとには、相当量の入村請書が残されることになった。