入村者はどこから来たか

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以上のような入村請書より作成したのが、表1-2と図1-3である。表1-2はどこから、何人くらいの者が小川村へ入村して来たのかを示したもの、一方の図1-3は入村者の出身地の地理的な位置を示したものである。ただし、いずれも元禄年間(一六八八~一七〇三)までのものである。
表1-2 小川村への入村者
通番出身地現在地人数
1宮寺入間市5
2下影森秩父市1
3上新井所沢市1
4所沢市3
5名栗(上・下名栗、名栗小沢)飯能市3
6上畑飯能市7
7下畑飯能市8
8苅生飯能市1
9小久保飯能市1
10下直竹飯能市1
11日影飯能市1
12窪田比企郡吉見町4
13ひがぬき秩父・高麗郡1
14江戸谷ノ御蔵屋敷東京都1
15江戸早稲田新宿区2
16原小宮あきるの市2
17深沢あきるの市2
18二ノ宮あきるの市1
19青梅青梅市4
20成木(成木・上成木・大沢入)青梅市12
21北小曾木青梅市3
22南小曾木青梅市1
23駒木野青梅市1
24沢井青梅市2
25黒沢青梅市2
26畑中青梅市3
27日掛和田青梅市1
28日向和田青梅市1
29新町青梅市1
30海沢奥多摩町2
31奥多摩町1
32留浦村奥多摩町2
33野口東村山市9
34廻田東村山市1
35後ヶ谷東大和市1
36芋久保東大和市1
37清水東大和市4
38高木東大和市5
39高幡日野市1
40大久野日の出町2
41福生福生市1
42中藤武蔵村山市3
43三ツ木武蔵村山市2
44横田武蔵村山市1
合計112
*各年の入村請書より作成。
*入村者の人数は世帯数。

小川村の入村者
図1-3 小川村の入村者
*埼玉県・東京都の現在の地図に、近世の村の位置を示した。
*数値は入村者数(世帯数)。

 これらから、小川村への入村者は、さまざまなところから集まってきたことがよくわかる。現在の埼玉県入間市・飯能市(はんのうし)・所沢市、東京都あきるの市・青梅市・奥多摩町・東村山市・東大和市・武蔵村山市に含まれる村々が主だったところであるが、なかには、秩父のような遠隔地にある村からの入村者も確認できる。また地形的にみれば、加治(かじ)・草花(くさばな)・狭山などの丘陵部もしくは山間部に位置する村々からの入村者がほとんどであるが、「江戸谷ノ御蔵屋敷」「江戸早稲田」など、江戸もしくはこれに近接する場所からの入村者も、わずかながら認められる。このように、小川村には、元禄年間末までに四四か所にわたる村や地域から入村者が集まってきていた。
 なお、小川村の開発を主導した小川九郎兵衛の出身村である岸村からの入村を示す請書はなく、それゆえに表1-2や図1-3にも岸村の記載はない。しかし、岸村からの入村者が一人もいなかったとは考えにくく、九郎兵衛と同郷ゆえに、改めて身元を証明する入村請書が作成されなかった可能性もある。
 各所からの入村者は、小川村の開発着手後、ほどなくしてみられたようである。開発が許可された明暦二年(一六五六)には四六人、明暦三年には一〇人、明暦四年(万治元年)には一〇人の入村者が確認できる。すなわち、開発に着手して間もない明暦二年以降の三年間だけで、少なくとも六六名もの入村者があったことになり、当村の開発は、当初より多数の入村者を各地から受け入れて、進められたことがわかる。