開発場の割り渡し

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そして享保九年(一七二四)五月一四日、開発仲間は「北野中」、続いて二八日に「南野中」の割り渡しを受けた。開発が幕府から許可されたのである。割り渡された土地は五一三町歩で、円成院と開発仲間一一名を請負人として一二等分され、一人あたり四二町七反五畝歩となった。開発場は「上谷保村願場(かみやほむらねがいば)」と呼ばれた。
 その後、九月二日に円成院が上谷保村から引っ越し、三日に毘沙門天の遷宮祭礼が行われた。翌享保一〇年四月二日には、南野中の鎮守として、毘沙門天が北野中から勧請(かんじょう)され、同時に鳳林院の境内が定められた(史料集一二、九七頁)。