野中新田でも享保二一年(元文元年・一七三六)、代官上坂らによる検地が行われた。野中新田与右衛門組・善左衛門組の元文検地帳の記載をみてみよう(表1-19・20)。元文検地によって、与右衛門組の面積は一五〇町一反六畝一五歩、これにともなう村高は四六六石八斗七升七合と定められた。地目は林畑が最も多く全体の二六%余、続いて野畑が二一%余であり、中ノ下畑・下畑・下々畑が一五~一七%の割合になっている。ほかの二組とくらべて中ノ下畑の割合が比較的高く、面積では二四町余と定められた。善左衛門組の面積は、一三〇町四反二畝二一歩、村高は三六九石三斗二升八合と定められた。地目をみると、与右衛門組で定められた中ノ下畑はなく、下畑が最も多い三二%余であり、林畑二五%余、野畑二七%余であった。なお、六左衛門組の面積は九四町二反五畝歩、村高は三〇六石四斗三升五合と定められた。地目は下畑が半分以上を占め、五二町余に及んでいる(表1-21)。これにより、野中新田全体の面積は三七四町九反二畝二七歩となった(表1-22)。これは武蔵野新田では最も面積の広い新田村ということになる。
表1-22 野中新田三組の土地面積合計 |
| 町.反.畝.歩 |
下田 | 0.1.1.12 |
中ノ下畑 | 24.2.8.03 |
下畑 | 121.4.0.09 |
下々畑 | 46.1.0.24 |
萱畑 | 2.0.7.06 |
林畑 | 93.0.9.00 |
野畑 | 83.3.0.24 |
屋敷 | 4.5.6.09 |
合計 | 374.9.2.27 |
表1-19・20・21の合計。 |