図1-39 弥左衛門への土地譲渡証文
享保9年5月「譲証文之事」(東村山市當麻勉家文書)
勝楽寺村からの開発場売り渡しを契機として、弥左衛門はさらに周辺の村々に割り渡されていた土地も買い集めた。また弥左衛門は、土地を購入するだけではなく、享保一二年四月には後ヶ谷村(うしろがやとむら)(現東大和市)名主勘左衛門へ土地を売却するなど、近隣村と土地売買を行うことによって「新田場」を形成していったのである。
ところで、勝楽寺村から割り渡し地を購入した際に作成された、享保九年五月二三日の証文には、「右芝地貴殿方へ相譲り申し候」、すなわち、芝地を貴殿(弥左衛門)へ譲るということ、また代官へは弥左衛門から願いを出した上で「其元御高に御入成らるべく候」、すなわち、弥左衛門の持高に入れることが記されている(『東村山市史』8、三八四頁)。これは弥左衛門が購入した土地を、弥左衛門自身の持高にするということであり、割渡地は弥左衛門個人へ売却されたものだったといえよう。その後も弥左衛門は土地を買い集め(表1-26①)、享保一六年四月にいたり、合計八七町余の土地を集積したのであった。
表1-26① 弥左衛門あて譲渡証文一覧 | ||||||
年月日 | 差出人 | 宛先 | 買取 | 売却 | 備考(本文記載) | |
町.反.畝.歩 | 町.反.畝.歩 | |||||
享保9.5.23 | 勝楽寺村 | 名主伊兵衛外2名 | 弥左衛門 | 23.7.0.0 | 「貴殿方江相譲」「其元御高ニ御入可被成」 | |
享保11.5.26 | 上谷保村 | 名主孫市 | 弥左衛門 | 17.1.6.22 | 「其村江売渡」 | |
享保11.7.10 | 堀口村 | 名主杢左衛門外3名 | 弥左衛門 | 11.1.0.0 | 「御役米未ノ年ゟ御上納可被成」「当午ノ年御役米之義ゟ其元御相談ニ可仕」 | |
享保12.4.16 | 大岱村 | 名主弥左衛門 | 勘左衛門 | 7.1.9.18 | ||
享保12.4.16 | 後谷村 | 半十郎外1名 | 弥左衛門 | 19.0.1.18 | ||
享保12.4.17 | 後谷村 | 彦八郎 | 弥左衛門 | 3.0.8.12 | ||
享保12.4.22 | 野口村 (町屋村分) | 名主太右衛門外1名 | 弥左衛門 | 13.8.0.0 | 「其元江相渡シ」「御役米当年ゟ御上納可被成」 | |
享保 14.3 | 清水村 | 名主佐助外2名 | 弥左衛門 | 4.8.1.0 | 「御年貢直ニ其元ゟ御上納可被成」 | |
享保16.4.7 | 久米川村 | 又兵衛外4名 | 2.5.0.0 | 「其元江譲リ渡シ」「其元ニ而御上納可被成」ほか | ||
小計 | 95.1.7.22 | 7.1.9.18 | ||||
合計 | 87.9.8.4 |