目次
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第一章 村ができる-一七~一八世紀の村の開発と支配-
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第二節 新たに生まれる村々-享保期の新田開発-
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5 大沼田新田
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(3) 元文検地の実施
大沼田新田の地目と面積
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さて、享保二一年(元文元年・一七三六)には、代官上坂安左衛門らによって、大沼田新田でも検地が実施された。大沼田新田では、この年三月に「検地野帳(けんちやちょう)」が、そして、「元文」への改元後の一二月に「検地帳」が作成された。
検地によって定められた面積は一二三町九反五畝三歩であった。地目は、下田・中ノ下畑・下畑・下々畑・林畑・野畑・屋敷の七種類であった(表1-28)。下々畑が四五町余、野畑が五〇町余で、全体の八割近くを占めている。下田として三反余が定められているものの、全体の〇・三%にすぎない。