大沼田新田の名称について触れておこう。現在の小平市域にふくまれる小川村・鈴木新田・野中新田は、開発人の名前(苗字)を村名に付けたものである。また小川新田は、小川家の開発という契機があるにせよ、小川村の村請新田として成立したことで付けられた村名ともいえる。廻り田新田も本村の廻り田村(現東村山市)の村請新田である。このように村請新田の場合には、本村名に「新田」を付けることが一般的である。大沼田新田の場合も、本村の大岱村から付けられた村名とされている。
前述した大沼田新田の享保二一年(元文元年・一七三六)の地割絵図には、「村絵図 大岱新田」との記述がある(東村山市當麻勉家文書)。一方、本村の大岱村も元禄期頃までは「大沼田」「大怒田」などとも記載され、「オオヌタ」と発音されていたものが、「オンタ」に音便化したという。実際に、享保一一年五月の土地売買証文には、大岱村を「大沼田村」と記している(當麻家文書)。「大沼田新田」という名称も、「オオヌタシンデン」「オンタシンデン」からの言葉であるといわれるが、享保二一年三月作成の検地野帳には「武蔵国多摩郡大岱村新田検地野帳」とあるのに対し、同年一二月の検地帳には「大沼田新田」とあることから、元文検地を契機に、「大沼田新田」が正式な名称として設定されたのかもしれない。「大岱新田」ではなく、「大沼田新田」とした特別な理由があったのか、興味深い問題である。
なお「大沼田」ということで、「沼」「田」にかかわる地性という印象も受けるが、少しの窪地とそれにともなう田場は存在するが、実際にはほとんどが畑地で、村内に流れる水が不足しているとして、新たに水路を引き、またそのことで出入が起こるほどであった(第二章第七節2)。