廻り田村

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狭山丘陵(さやまきゅうりょう)の南に位置する廻り田村(めぐりたむら)(現東村山市)は、武蔵七党の拠点の一角として中世以前に開発が進んでいた古い集落で、近世初期より、旗本中川氏(なかがわし)と代官伊奈氏(いなし)の家老富田氏(とみたし)との相給支配(あいきゅうしはい)であった(『東村山市史1』)。村の南端を小川村と接し、廻り田村の有力者江藤氏が小川村に屋敷を持ち(本章第一節)、領主富田氏は小川村に抱屋敷(かかえやしき)を所持するなど(第二章第八節)、小川村とも関係の深い村であった。廻り田村では、寛文・延宝期(一六六一~八一)に村の南側を持添新田(もちぞえしんでん)として開発しており、新田分は幕府直轄領として代官支配を受けていた。