土地の割り付け

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廻り田新田では、他の武蔵野新田と同様に、享保二一年(元文元年・一七三六)四月に検地が行われる。元文検地の結果、廻り田新田は村高一〇七石八升四合、反別四〇町六反五畝三歩の村として成立する。元文検地帳での廻り田新田の土地の持ち主を一覧にしたのが、表1-31である。元文検地段階では、四〇名に平均七反、二石程度の土地が割り渡されている。階層でみれば、金主の斉藤忠兵衛が四町余と突出した土地を所持している。享保一四年の争論の際には三町を所持していたので、元文検地までにさらに所持地を増やしたことになる。また、廻り田村名主九兵衛が二町余を所持し、一町から二町を所持するものが一〇名いる一方、二八名が六反五畝余から八反余を所持している。九反を等分に割り渡された段階からは、忠兵衛や九兵衛などへの土地の集積がみられるものの、おおむね、初期の九反ずつ等分した痕跡が残されている。廻り田新田に土地を持つ四〇名のうち二四名が、享保一〇年の開発賛成・反対両派にみえる。約一〇年期間があくため、正確な比定はできないが、二四名のうち、忠兵衛を筆頭に二〇名が賛成派であり、賛成派が中心に土地を割り渡されている一方、反対派の九兵衛も第二位の土地を割り渡されるなど、必ずしも賛成派のみが土地を割り渡されたわけではない。
表1-31 廻り田新田検地帳
地番名前反畝
45忠兵衛御上水きわ40.411910.722
11九兵衛御上水きわ20.7455.482
5十左衛門御上水きわ19.4755.166
32庄左衛門御上水きわ14.4963.876
1七郎左衛門御上水きわ14.9333.868
9与兵衛御上水きわ13.9903.652
12新右衛門御上水きわ13.21053.465
4門左衛門御上水きわ11.2422.926
3仁左衛門御上水きわ11.1322.88
36/37清左衛門御上水きわ10.8452.868
2杢右衛門御上水きわ10.7542.808
35/36勘兵衛御上水きわ10.5452.788
24五郎兵衛御上水きわ8.1452.378
26作右衛門御上水きわ8.3212.198
28十右衛門御上水きわ8512.15
6十郎右衛門御上水きわ8.1452.118
25七左衛門御上水きわ7.8572.102
29孫右衛門御上水きわ7.7182.036
30佐右衛門御上水きわ7.6302.016
31太郎左衛門御上水きわ7.6292.016
8市郎右衛門御上水きわ7.6422
40権左衛門御上水きわ7.3661.976
38八左衛門御上水きわ7.3571.97
43宇右衛門御上水きわ7.2721.946
10半兵衛御上水きわ7.4181.932
39武右衛門御上水きわ7.2391.92
7兵左衛門御上水きわ7.2541.894
33文右衛門御上水きわ6.9571.892
34市右衛門御上水きわ7541.878
44宇兵衛御上水きわ6.8691.842
23嘉兵衛御上水きわ6.7391.832
22九右衛門御上水きわ6.7391.832
20源四郎御上水きわ6.7391.832
18五兵衛御上水きわ6.7391.832
19左次兵衛御上水きわ6.7391.832
21長右衛門御上水きわ6.7391.832
16与右衛門御上水きわ6.7391.832
17治右衛門御上水きわ6.8271.816
13徳右衛門御上水きわ6.5421.716
14忠左衛門御上水きわ6.5331.704
47市郎右衛門古新田境2.5121.27
46杢右衛門古新田境2.2301.15
48庄右衛門古新田境2241.04
検地案内
廻り田新田検地帳(斉藤家文書)より作成。

 また、字名は基本的にすべて「御上水きわ」だが、三筆のみ、「古新田境(こしんでんさかい)」という字名がある。廻り田村では、享保の新田開発より前から、村の南側、小川村や野火止用水(のびどめようすい)の北側の地域を持ち添え新田として開発してきたが、廻り田新田の開発にあたって、その残りの場所も廻り田新田として開発されたと考えられる。