まず両寺院が存立していた小川村の寺社を中心とした景観についてみておきたい。小川村の村域を示した絵図(図1-4)によると、絵図の左端の上部付近(小平市域西端)には、現在、一ノ宮神社が立地している。これは野火止用水の灌水と関連した祠(ほこら)と伝わる。また西端から集落にかけて青梅街道を東進すると、山王社(さんのうしゃ)(現日枝神社(ひえじんじゃ))が確認できる(図1-52)。山王社は、江戸麹町の山王社とつながりのある神社であるが、集落の西端入口に存在していることは注目できよう。また、山王社の境内を用水が流れており、「水」と宗教施設の位置に注目される。さらに用水は集落を流れるが、その途中に神明宮が存立する。神明宮は、小川村の鎮守として宮崎家が神主をになった。さらに神明宮から青梅街道を挟んだ向かい側に小川寺が存在する。小川家の墓地などが存在するが、同家の墓地は岸村禅昌寺にも存在している。さらに青梅街道を東進すると、妙法寺が確認できる。このように小川村は、開発当初、寺院を設立していることがわかるが、絵図にみえる景観を理解するうえでも、小川寺などが成立する経緯について取り上げてみたい。
図1-52 山王社(現日枝神社)(平成21年4月撮影)