神明宮と山王社

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一方、小川村には二つの神社が存在し、それぞれ宮崎家(神明宮)・山口家(山王社)が神主になっている。
 ここで注目したいのは、両神主の立場の違いである。宮崎家は、京都の吉田家との関係が確認できる(宮崎家〈神明宮〉文書)。これは当時、全国の地域に展開する神社の神主が吉田家から免許状を受けていたことと共通する。
 一方、山口家は麹町山王社との関係が確認できる(図1-52)。これらの両側は小川村内において、京都の神社権威と江戸の神社権威が並立していることを意味する。全国的な神主編成に注目すると吉田家の存在感の大きさが知られるが、山口家の例にみられるように、江戸とその近郊神社の結び付きについては不明な点が多く、その意味でも山口家の存立状況は興味深い例となる。
 この後、文政期に入ると、山口家も吉田家との関係を結んでいるようである(史料集一、六一頁)。いずれにしても神主が、どのような立場で村内の人びとと関係を結んでいるか、この場合、江戸の有力神社(この例は麹町山王社)との関係に注目する視点を山口家の例は示しているように思われる。