寺院の成立とともに、僧侶にもさまざまな社会的機能が求められた。当然ながら、葬祭や祈祷などの宗教活動、さらに墓地の管理などが第一義に掲げられよう。また宗教活動のみでなく、僧侶のなかにはさまざまな文化活動をになう者もみられた。そこには、説教と称されるさまざまな人びとへの「語り」も想定できるが、ここで注目しておきたいには、当地の開発事情への関与である。
天和・貞享期(一六八一~八八)において、小川村内の「下之原」の開発を行うにあたって、開発地を定める場合、僧侶が立ち会うことが確認できる。これは村内における開発をコントロールする動きとみられるが、小川寺僧侶が開発地の境界設定にかかわっている(史料集一二、八~一二頁)。当時の僧侶には、村内における調停者としての立場があったことになる。当時における僧侶の求められる役割の一つとして、注目しておこう。