稲荷社をめぐる史料伝来

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泉蔵院と共に大沼田新田では鎮守として稲荷社が整備されていく。この整備に関与するのが、同新田の成立にかかわった、弥左衛門・伝兵衛家である。両家は縁戚関係をもつが、両家の対立状況も知られる(第二章第七節4)。
 当初、同新田の名主、伝兵衛が京都の伏見稲荷神社より、神霊を勧請(かんじょう)している。これは村内の有力百姓が伏見稲荷神社と関係を構築したことを意味する(図1-59)。伏見稲荷神社は、当時、「神号」を与える免許状などを発給していた。

図1-59 正一位稲荷大明神安鎮之事
宝暦3年2月(當麻家文書)

 ただし、この伝兵衛あての史料は弥左衛門家の史料群に伝来している。つまり伏見稲荷神社からの免許状は、弥左衛門家が管理していたことになる。ある段階から、伏見稲荷神社発給史料は、弥左衛門が受給・管理となっており、村内で弥左衛門の稲荷社への影響力が強まっていることを想起させる。また、伏見稲荷神社からの史料が、稲荷社の管理者の性格を規定したとするならば、当初、伝兵衛宛に出され、のちに弥左衛門家に史料が伝来したことは、村政運営ともかかわる問題である。