野中新田の開発の経緯については、本節4に詳述されているが、当初、矢沢藤八(のちに失脚し野中善左衛門が主導)と黄檗僧大堅(おうばくそうたいけん)が開発を主導した。ここでは野中新田の開発に黄檗僧の積極的な関与があったことを、新田開発と黄檗宗の勢力拡大という視点から述べていきたい。
ところで、黄檗宗は中国の明の僧である隠元(いんげん)が日本に招聘されたことによりはじまる。隠元は、後に京都の宇治に万福寺(まんぷくじ)を開き、黄檗宗の拠点とした。隠元には、四代将軍徳川家綱らの武家層の保護が知られると共に、後水尾天皇と「禅」を通じた深いつながりもあった。つまり、近世前半、将軍や天皇との良好な関係を軸に、黄檗宗は勢力を拡大していった。このような背景のなか、黄檗宗円成院が新田に設立されることになる。