延命寺の初見と整備

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つぎに享保一九年(一七三四)に鈴木新田と野中新田与右衛門組の出百姓らが善左衛門との間でかわした証文をみたい。この頃、宝林院は延命寺(図1-61)との間で檀家をめぐって軋轢が生じ、一部の宝林院檀家が延命寺檀家となるなど、檀家の帰属をめぐり一定の合意が形成されている。この時点で、延命寺及び円成院・宝林院の双方が、それぞれの檀家の帰属問題を整備している。結果からみれば、黄檗宗寺院(円成院・宝林院)が延命寺の存在を認めたことにもなる。

図1-61 延命寺 (平成24年8月撮影)

 『風土記』では、延命寺が享保二〇年に建立されたと記載されているが、先に述べたように同一九年から延命寺の整備が進んでいたことになる。なお善左衛門組は、開基家を善左衛門とする。