代官は、手代を中心に、ほか、書役(かきやく)・侍などからなる配下の役人集団を抱えている。役人の数は、五万石につき、手代や書役などをあわせて一五名ほど、足軽や中間(ちゅうげん)などを含めても三〇名ほどと、大名領にくらべて極めて少なかった。手代以下の配下の役人は、町人や百姓、下級武士などから代官が直接雇用(こよう)するもので、幕臣ではなかった。このほか、寛政六年(一七九四)に手附制度(てつけせいど)が新設され、御家人(ごけにん)のなかから選任された手附が代官の配下となった。また、手代・手附から元締(もとじめ)が選任され、代官の職務を補佐した。
図1-64 代官・勘定所職制概略
本節では、以下、小川村の開発から明治維新後の品川県・韮山県の成立にいたる代官支配の変遷を、各時期ごとの支配代官の一覧表をもとにみていきたい。