八王子十八代官

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 家康の江戸入国後、武蔵国西部の地域経営に従事したのは、代官頭(だいかんがしら)大久保長安(おおくぼながやす)である。大久保は武田家旧臣(きゅうしん)の地方功者(じかたこうしゃ)で、八王子小門陣屋(おかどじんや)を中心に、多摩・入間(いるま)・新座郡(にいざぐん)などを支配した。大久保の陣屋の周辺には十八代官(じゅうはちだいかん)と呼ばれる配下の代官が陣屋を構え、大久保の支配地域を分割して支配にあたった(図1-66)。八王子は滝山城(たきやまじょう)・八王子城があった北条氏の拠点であり、北条氏の滅亡後も配下の土豪が地域に潜伏するなど不安定な情勢であったため、八王子には長安や十八代官の陣屋に加え、八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)が配置され、千人頭(せんにんがしら)の屋敷も周辺に構えられ、軍事的拠点でもあった(吉岡孝『八王子千人同心』、第二章第八節)。十八代官は武田旧臣を中心に、北条旧臣や徳川家臣からなり、大久保の指揮下、武蔵国多摩郡・入間郡・新座郡を支配するほか、上野国(現群馬県)・下野国(現栃木県)・越後国(現新潟県)・信濃国(現長野県)まで支配し、治水工事・新田開発などを担当した(村上直『江戸幕府の代官群像』)。

図1-66 八王子町絵図
(『八王子の絵図Ⅰ』より転載)。