野田文蔵元清

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この頃、飯塚の跡に江戸廻り代官となり、小川新田と廻り田新田を支配していたのは、野田元清(のだもときよ)である。野田家は勘定の家に生まれ、川々普請などで成果をあげて勘定組頭となり、寛政元年(一七八九)から代官となる。最初の赴任先が江戸廻り代官である。野田はその後在任中の享和元年(一八〇一)に死去している。