早川は江戸廻り代官に在任中の文化五年(一八〇八)に死去したため、江戸廻り代官の支配地域は、一時的に信州御影代官(みかげだいかん)榊原長義と関東代官浅岡彦四郎直澄(あさおかひこしろうなおすみ)の預り支配になる。榊原家は家康(いえやす)以来の大番筋(おおばんすじ)の家系で、榊原長義は、宝暦八年(一七五八)に遺跡を継いで大番士(おおばんし)となるが、寛政元年(一七八九)から役方の書替奉行(かきかえぶぎょう)に転じ、同五年から代官となる。早川同様に関東取締出役を献策した一人でもある。寛政九年より信州御影陣屋の代官となり、その在任中に、一時的に江戸廻り代官支配地域を預かることになる。榊原とともに預かり支配をした浅岡直澄の浅岡家は寛永期(一六二四~四四)以来の御徒(おかち)・大番(おおばん)を勤める家柄で、直澄は安永五年(一七七六)に家を継ぎ、西丸腰物方(にしのまるこしものかた)を勤めた後、寛政元年に代官に転じる。その後関東・豊後高松陣屋(ぶんごたかまつじんや)(現大分県大分市)を担当し、寛政一一年より関東代官となり、その在任中に、江戸廻り代官の支配地域を預かることになる。榊原と浅岡による預り支配は文化五年一一月から翌年三月までの約半年間続き、同年三月二三日に、後任の江戸廻り代官として、篠山景義が赴任する。篠山家は家康家臣の家伝を持つ百人組与力(ひゃくにんぐみよりき)の家柄で、景義は天明六年(一七八六)から勘定吟味方改役並(かんじょうぎんみかたあらためやくなみ)に転じ、諸国川々普請などに成果をあげ、天明八年(一七八八)に代官に転じ、関東郡代付代官・大坂代官を歴任したのち江戸廻り代官となる。しかし、篠山の在任期間はわずか一年間で、篠山は勘定吟味役に昇進することになる。篠山の後任の江戸廻り代官が、川崎平右衛門定安(かわさきへいえもんさだやす)である。川崎定安は川崎定孝の孫にあたる。定孝の子で、定安の父にあたる定盈(さだみつ)は、父定孝が勘定吟味役兼銀山奉行(ぎんざんぶぎょう)となった跡を継いで石見大森(いわみおおもり)(現島根県大田市)代官を勤め、陸奥桑折(こおり)(現福島県伊達郡)代官、関東代官を歴任し、定安は父の跡を継いで関東・石見大森代官・越後水原(すいばら)(現新潟県阿賀野市(あがのし))代官・甲斐石和(かいいさわ)(現山梨県笛吹市)代官・出羽柴橋(現山形県東村山郡(ひがしむらやまぐん))代官など諸国の代官を歴任したのちに江戸廻り代官となる。しかし定安も支配開始から二年後の文化一〇年一〇月に在任中に死去しており、早川・篠山・川崎と、短期間に江戸廻り代官が入れ替わる時期が続く。川崎の後任は、大岡源右衛門孟清(おおおかげんえもんたけきよ)である。大岡家は家康以来の中間(ちゅうげん)を勤めた家柄で、孟清は徒押(かちおさえ)から勘定吟味方改役並に転じ、諸国川々普請などに成果をあげ、天明八年から代官となり、文化一〇年(一八一三)から江戸廻り代官となった。大岡の後任は平岩右膳親庸(ひらいわうぜんちかつね)である。平岩家は戦国武将平岩親吉(ひらいわちかよし)の支庶の家伝を持ち、大番の与力(よりき)を勤める家柄である。父親豊(ちかとよ)の代から勘定を勤め、親庸も勘定となり、勘定組頭をへて文政四年(一八二一)より江戸廻り代官となる。平岩の後任は田口五郎左衛門喜古(たぐちごろうざえもんよしふる)である。田口家は桜田館系の勘定の家で、喜古は勘定吟味方改役として諸国川々普請などで成果をあげ、諸国の代官を経て江戸廻り代官となる。
このように、江戸廻り代官就任者の多くは、代々番方(ばんかた)下士の家に生まれ、寛政期を機に勘定所へ転出したことを足がかりに、勘定所において諸国川々普請などの実績をあげて代官となり、代官としても実績をあげて江戸廻り代官に赴任していることがわかる。享保期の大岡支配役人の登用とは異なる、儒学と能力主義とを基準とした代官の登用方針が、江戸廻り代官の経歴にも反映しているのである。以上の経歴から、赴任の時点である程度の年齢に達しているが、名誉職として江戸廻り代官となるのではなく、地域支配の熟達者として、激務の江戸廻り代官に任じられているため、在任中に死去するか、勘定所人事として勘定吟味役に転出する例が多くみられ、結果、支配の空白期間が生じる場合もあったようだ。田口も、在任三年目の天保三年(一八三二)一〇月八日に勘定吟味役に異動し、その日から同月二八日までは、上野岩鼻(いわはな)(現群馬県高崎市(たかさきし))代官の山本大膳雅直(やまもとだいぜんまさなお)と甲斐市川(現山梨県西八代郡)代官の林金五郎政幸(きんごろうまさゆき)の預り支配となり、その後、山本が江戸廻り代官に転任することになる。山本家は小姓組(こしょうぐみ)番士の家柄で、雅直は西丸小姓組番(にしのまるこしょうぐみばん)から代官となり、陸奥川俣(かわまた)(現福島県伊達郡)・甲斐石和・上野岩鼻をへて江戸廻り代官となる。山本の在任期間は、江戸廻り代官としては珍しく一〇年に及ぶ。