文政四年(一八二一)以降、小平市域のうち小川村の支配が馬喰町御用屋敷詰代官から韮山代官江川氏の管轄となる。小平市域を支配した最初の韮山代官は江川太郎左衛門英毅(ひでたけ)である。江川氏は鎌倉時代以来の家伝を持ち、後北条氏の家臣から家康の家臣となり、以後代々韮山陣屋(現静岡県伊豆の国市(いずのくにし))を拠点に、谷村(やむら)(現山梨県都留市(つるし))などにも陣屋を構えて代官を勤めた。初期は在地土豪的代官とされるが、享保期の罷免・処罰を経て、経済官僚的代官となって韮山に戻される(『韮山町史 通史編』、高橋敏『韮山代官江川家と地方支配』)。英毅は寛政四年(一七九二)から代官を勤める。江川氏の支配地域は、当初、伊豆・相模・駿河(現静岡県東部、現神奈川県南部)が中心であったが、幕末に近づくにしたがい甲斐・武蔵へと広がっていく。江川氏の小平市域の支配の開始は、文政六年に馬喰町御用屋敷詰代官中村知剛が二系統から一系統に異動したことにより、同年、武蔵国の旧中村支配地域のうち一万石が江川氏に支配替えされたことにともなうものであり、以後、江川氏の支配は管轄地域を広げつつ、明治維新まで、四代にわたって続くことになる。