②家作・普請願い

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 鷹場内の農民は、家作や普請をする際、鷹場預り案内や鳥見など鷹場役人の見分をうける必要があった。たとえば、天保一〇年九月、尾張家役人の堀田幸七と吉田恒重郎が、當麻弥左衛門を含む鷹場預り案内一二人にあてて、新規家作をする場合、鳥の居つきの差し障りを見分するはずであったが、最近おろそかになっている。今後は新築や改築の場合も見分を願い出るように、村々に伝えることを指示している。しかし、見分は農民の負担になったため、翌一一年正月、今後は居屋敷(いやしき)(実際に生活している屋敷)内の家作や屋根の葺き替え(ふきかえ)などは、鷹場預り案内に届ければよく、居屋敷の外の新屋敷や古屋敷の家作の場合は見分を受けることを、村々に伝えるよう指示している。
 見分は寺院にも及んだ。天保一二年一〇月一〇日には、鷹場預り案内の當麻弥左衛門が鷹方役所に対して、自分が管轄する田無村の西光寺本堂の立て替えの際、見廻衆が見分し、外見は不都合なく、鳥の居つきにも支障がないと判断したことを報告している。鷹場村々は、普請や家作など日常生活も規制されていたのである。