⑤鷹餌の飼育

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 鷹場村々は、勝手な飼鳥は禁止されたが、鷹の餌となる鳥の飼育は義務づけられていた。たとえば、文化五年二月八日、鷹場預り案内の井上富右衛門は、村々に対して、餌鳥となる鳩九羽を大急ぎで鷹場見廻の旅宿に届けるように指示している(史料集三、三〇七頁)。また、天保一〇年五月には、鷹場役人の堀田幸七と吉田常十郎が、鷹場預り案内に対して、夏になると鷹を扱う役所では、多くの鶏を必要とし時々不足するので、小鳥を飼っている者たちに、毎年陣屋から指示があり次第、鶏を一羽ずつ納め、定額代金一匁二分を受け取るように触れている。
 天保一三年六月には、鷹場役所が鷹場案内一統(いっとう)に対して、所沢村(ところざわむら)(現埼玉県所沢市)の忠兵衛に以前から鶏・鳩・小鳥など鷹の餌鳥の上納を申し付けてきたが、近年村々に魚売りのような風体で来て、鶏を買う者がいるため払底している、そこで鑑札を二枚渡し、毎年四月から一〇月までこれで確認し、みだりに売らないように村々に触れることを命じている。
 鷹場村々は、鷹の餌を安定的に供給する役割もになわされていたのである。