⑥水車稼

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 鷹場村々は、製粉などに用いる水車を設置する際にも許可が必要であった。たとえば、明和五年(一七六八)一〇月、大沼田新田の名主伝兵衛は、屋敷の中の飲み水用水を利用して水車を建てたいと、鷹場預りの下田孫右衛門にあてて願った。すでに支配代官に出願したところ、鷹場役所の許可がおりれば問題ないといわれ、村役人と惣百姓も合意しているので、許可を願いたいと述べている。
 文政元年一二月、鷹場預り案内格の當麻弥左衛門は、鷹方役所あてに、担当している新座郡石神村(にいざぐんいしがみむら)(現埼玉県新座市)の農民仁兵衛が自分の屋敷地に水車を作ることを出願したので、見分したところ鳥の居つきに影響はないとされ、再度の見分と建設許可を願っている。
 嘉永二年(一八四九)正月には、鷹場内の水車の持ち主一三人が、鷹場預り案内の當麻翁助に対して、鳥の障りになる場合はいつでも取り払うなど、水車経営上の注意を了解している。小平市域では大沼田新田の弥左衛門が鑑札四枚、伝兵衛が鑑札一枚を与えられ、経営を許可されている。

図1-79 水車札
「諸鑑札雛形」(史料集22、p463)