幕府の天保改革がはじまる天保一二年(一八四一)、尾張家鷹場でも改革が行われた。この年六月一九日、古役の高橋覚左衛門と村野源五右衛門は、尾張家屋敷に呼び出され、鷹場預り案内が鷹匠頭・目付の両支配から、今後は大目付支配になると申し渡されたことを、同役の井上紋治郎、新藤一学、當麻弥左衛門、榎戸源蔵に伝えている。天保一二年一〇月「御改正被仰渡候写」には、冒頭、鷹場支配が藩士の監察機関である大目付の支配になったことが記されている。以下、内容をみると、第一条は鷹場支配に関して鷹場預り案内が協力する、第二条は鷹場の見廻や杭・塚の管理などを強化する、第三条、第五条、第八条は鷹場内での殺生禁止を徹底する、第四条は鷹場村々の名主への諸注意は従来通りとする、第六条は尾張家役人が鷹場にきたときはすぐに案内する、第七条は鷹場内で無許可で鉄砲を打った者は名前を調べる、第九条は鷹場関係の願いは鷹方役所か陣屋へ提出し、願いが通った場合、鷹方役所と鷹場吟味役に申し出る、第一〇条は、鷹方役所に申し出たにもかかわらず、そのままにされたり、不正に扱われた場合は、鷹場吟味役に申し出る、第一一条は鷹方の者が鷹場で不行跡をはたらいた場合、鷹場吟味役まで申し出る、第一二条は鷹場吟味役が申し渡した用向きを守り、事によっては大目付へ直接訴えてもかまわない、第一三条は内密御用で大目付宅に直接呼び出す場合がある、などであった(「嘉永三~七年御鷹場御預役書上」、徳川林政史研究所所蔵)。全体として、鷹場規制が確認・強化され、従来の鷹場支配の中枢であった鷹方役所-陣屋とは別に、新たに大目付(おおめつけ)-鷹場吟味役という監察機構が、これを上回る権限を有するようになったことが知られる。