村役人給

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各村の村明細帳には、村役人の「給与」を示す、「名主給」「組頭給」、そして役負担の免除について記されている。名主のなかには名主給や諸役の免除などの特権を持つ者がいた。これに対して、組頭や百姓代は無給のこともあったようである。村役人の「給与」は、各村で決められ、村によって金額や負担の免除には違いがあった(表2-5)。
表2-5 村役人の給与と負担役などの免除(小川村・鈴木新田・大沼田新田)
村名年代名主給組頭給年寄給
小川村正徳3年(1713)8月永6貫文なし、村中馬次諸役引
享保19年(1734)5月永6貫文なし、村並伝馬諸役免除
宝暦4年(1754)11月永6貫文なし、村並伝馬人足免除なし、村並伝馬人足免除
宝暦10年(1760)永6貫文なし、村並伝馬諸役免除なし、村並伝馬諸役免除
文政4年(1821)5月永6貫文なし、伝馬人足免除なし、伝馬人足免除
鈴木新田嘉永3年(1850)8月役料銭18貫文役料役高引なし役料役高引なし
役高20石引村小役免除あり村小役免除あり
大沼田新田宝暦6年(1756)10月高1石に付永5文なしなし
文政4年(1821)6月高1石に付永5文なし、役高15石免除
役高20石免除
安政4年(1857)8月高1石に付永5文なし、役高15石免除
役高20石免除
各村の村明細帳による。「-」は該当する村役人がいないために記載がないもの。

 村役人の手当てとして、御用で江戸へいったときの泊まり賃もあった。大沼田新田の宝暦六年(一七五六)の村明細帳には、名主・年寄・組頭に対して、御用で江戸へ出府(しゅっぷ)した時の宿泊代として、一泊につき鐚銭(びたせん)三〇〇文と記されている。文政四年(一八二一)の村明細帳には、名主と年寄の出府の「往返道中入用」と「江戸逗留中雑用」として一日銀四匁、村の出入で名主と年寄が出府する際も一日銀四匁と記されている(史料集一、一〇四頁)。鈴木新田の嘉永三年(一八五〇)の村明細帳には、御用での出府の往復入用と江戸逗留中雑用小遣いが一日銀五匁、村の出入での出府も同様、また五人組や百姓は一日銀三匁五分ずつに定められている。江戸への年貢収納や文書の提出のみならず、訴訟によるたび重なる江戸出府を想定して、村役人や五人組にもかかる費用を定めていたのである。