百姓が負担する貢租の種類

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百姓が領主に対し上納する貢租は、年貢(本年貢)に限定されるわけではない。近世の百姓が負担する貢租の内訳は、おおよそつぎのようなものであった。
①本年貢(ほんねんぐ)
 検地によって定められた田畑・屋敷地に課された貢租のことで、百姓の負担する貢租の中核である。別に、本途物成(ほんとものなり)・取箇(とりか)などともいう。石高制のもとにあった近世の年貢は、米で納入することが原則だったが、石代納(こくだいのう)といって、金銀銭の貨幣によっても納入された。小平市域の村では、耕地のほとんどが畑であったため、当初から作物を販売した貨幣(金や銭)で年貢が納入されていた。

②小物成(こものなり)
 田畑以外の山林・原野・川海の利用および収穫物、また商工業の利潤に対して賦課された雑税の総称で、本年貢に対し小年貢(こねんぐ)ともいわれた。各地で採れた特産物を納めさせるもの、商工業に対して課される冥加(みょうが)・運上(うんじょう)など、地域や課税対象により多様なかたちがあった。小平市域の村では山銭のほか、酒造業・水車稼ぎ・質屋業に対する冥加・運上などが確認できる。

③高掛物(たかがかりもの)
 村高に応じて高割で賦課された付加税のこと。幕領では、江戸浅草にある幕府米蔵の維持費である蔵前入用(くらまえにゅうよう)、主要街道の宿駅維持費である伝馬宿入用(てんましゅくにゅうよう)、江戸城で働く奉公人に支給される米代である六尺給米(ろくしゃくきゅうまい)、が代表的である。幕領である小平市域の村には、これら三役のほか、油を絞るための荏(荏胡麻)(え(えごま))や大豆が高掛物として賦課されていた。

④国役(くにやく)
 大規模河川の堤防修復や朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)の江戸参府、将軍の日光社参(にっこうしゃさん)など国家的事業にかかる多額の経費をまかなうため、幕府が一国単位に賦課した臨時の課役のことである。小平市域の村にも、関東の河川工事や朝鮮(ちょうせん)・琉球(りゅうきゅう)からの使節の参府にかかる経費(「関東筋川々御普請国役」「朝鮮人入用」「琉球人国役」)などが国役として賦課されていた。

⑤夫役(ぶやく)
 領主への労働力の提供で、主に河川や道路の建設および修理における土木工事に使役されたが、次第に米や貨幣で代納されることが多くなっていた。青梅街道(おうめかいどう)の宿駅でもある小川村の百姓が負っていた通行者に人馬を提供する役目、さらには他の宿駅の補助として人馬もしくはそれに代わる代金を提供する助郷役も、この夫役の一種である。なお、一八世紀前半の享保期に開発された武蔵野新田の村々は、助郷役が免除されていた。

 百姓が負担する貢租の主だったものは、以上の通りである。一目みてわかるように、百姓は領主に対し、じつに多くの種類の貢租を納めていたが、そのなかでも中心となるのは、やはり本年貢であった。そこで以下では、本年貢を中心に、小平市域の村の百姓が領主から課された貢租をどのように納めていたのかを、できるだけ具体的にみていくことにしたい。