幕府をはじめとする近世の領主は、百姓から年貢(ねんぐ)を取り立てる前提として、彼らの生活を保障する責務を負っていた。この責務を果たすべく、領主が百姓に対して行った様々な助成・救済行為を「御救(おすく)い」という。御救いの内容は多岐にわたるが、大きく分ければ、生産の支援、負担の軽減、生活への特別手当ということになる。
生産への支援とは、凶作などの際に領主が困窮した百姓に種籾や麦種を貸し与える種貸し、大河川の治水工事など農業基盤の整備などを指す。負担の軽減とは、領主が百姓に課す年貢や諸役の減免である。そして生活への特別手当とは、領主が凶作その他の理由によって困窮した百姓に食糧である夫食(ふじき)(米穀)を貸し与える夫食貸しなどのことである。
こうした御救いによって、領主が百姓の生活を保障する責務を果たす代わりに、百姓は領主に年貢を納めていた。近世社会は身分差別を前提とした社会であり、領主が百姓を支配していたことは、間違いない事実である。しかし、両者の関係は、領主が百姓から年貢を取り立てるだけの一方的なものではなく、それぞれが互いに対して責務を負う双務的なものであった。
すでに述べられたように、現在の小平市域にあった村は、いずれも近世に開発された新田村であり、とくに開発後まもない頃は生産が不安定で、年貢を納められずに土地を手放し離村してしまう者もあるという状況だった(第一章第一・二節)。そのため、百姓が当地の村々でくらすにあたり、領主である幕府の御救いは、中世以来の歴史をもつ古村の場合と比べ、いっそう重要であった。