近世の「家」と家族

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「兵農分離(へいのうぶんり)」を起点として形成された近世の身分制社会は、江戸幕府のもとで、「士農工商(しのうこうしょう)」という身分秩序として固定化した。近世の身分制は、身分と職業が一体となっており、また家の相続が身分そして職業(家職(かしょく)、家業)の相続にもなった。百姓の場合は、検地帳に名請地(なうけち)として登録された土地を「家産(かさん)」として、代々継承していった。「家産」である土地を継承し、農業という「家業」に従事し、さらに家の当主が世襲する通名(とおりな)である「家名(かめい)」を三位一体として継承していくことが意識され、また求められたのである。武士をはじめとする支配階層のみではなく、一般の民衆レベルでも、「家」制度が広く確立したのが、近世の「家」の特徴であった。
 また、一七世紀半ば以降に年貢諸役を負担する「本百姓(ほんびゃくしょう)」が成立し、本百姓の家が固定化されると、家の維持への意識が強まり、維持すべき家を代表する当主が、家族に対しての権限と責任を持つと考えられた。
 さらに各家の当主だけではなく、村に対しても、各家を維持するための努力が求められていた。村は領主から村高(むらだか)を決められており、村では各家の持高(もちだか)が設定されていた。たとえば、一つの家が「潰(つぶ)れ」になってしまった場合、その分の村高が減ることはなく、「潰れ」の分はほかの百姓が負担しなければならない。家の相続は各家の問題だけではなく、村全体の問題として考えられていた。