分家の創出

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大沼田新田の卯兵衛と妻もよには、長女きん・次女そめ(夭折)・長男万吉という三人の子がいた(図2-25)。寛政五年(一七九三)の段階で、きん(二五歳)は金右衛門という婿を取っている。卯兵衛自身は五四歳で、まだ当主を譲る年齢ではないと考えられるが、長男万吉は当時一四歳で、男子とはいえ当分は家を継ぐとみなされていなかったのだろう。その後、寛政一〇年に、卯兵衛・もよ・万吉が金右衛門家から分家した。享和二年(一八〇二)、万吉には妻すえ、娘さき(系図では省略)がおり、金左衛門と改名し、文化元年(一八〇四)年には当主となった。金右衛門家・金左衛門家の事例は、父親と次男以下の忰によって分家を創出する形態である。こういった分家の創出は一般的にみられるが、長女の系譜でも家が相続されたことは興味深い。

図2-25 金右衛門・金左衛門家系図
大沼田新田の宗門人別帳より作成。