嫁と婿

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小川村では、嫁をむかえると同様、婿をむかえることも比較的多かったようである。家に娘しかいない場合、家の相続者として婿をむかえることになる。小川村の宗門人別帳には「嫁」「娵(よめ)」という肩書と同様に、「聟(婿)(むこ)」も記されており、どのように家が継がれたのかがわかる。「嫁入り」のイメージが強いと考えられる婚姻形態であるが、小川村では「婿入り」の事例も少なくなかった。
表2-19 小川村の嫁と婿の数及び比率
年代家数(軒)夫婦(組)嫁(人)婿(人)
安永7年(1778)209513912
(76%)(24%)
天明3年(1783)210523814
(73%)(27%)
天明7年(1787)211473512
(74%)(26%)
寛政5年(1793)219483513
(73%)(27%)
享和2年(1802)22023176
(74%)(26%)
文化8年(1811)22621165
(76%)(24%)
文化9年(1812)22612111
(92%)(8%)
文化10年(1813)22717143
(82%)(18%)
文化12年(1815)22618117
(61%)(39%)
文化13年(1816)16115
(69%)(31%)
文化14年(1817)2231495
(64%)(36%)
文政2年(1819)225413011
(73%)(27%)
弘化2年(1845)217644915
(77%)(23%)
安政4年(1857)225574413
(77%)(23%)
*小川村の宗門人別帳より作成。
*当主の忰または娘の夫婦形態を示した。当主夫婦については記載がないためふくまない。

 表2-19は当主と同居する息子や娘が、結婚後も同居している状態で、宗門人別帳に記載された事例を一覧にした。安永七年(一七七八)の段階で、親との同居夫婦は五一組で、そのうち嫁入りした者は三九名、婿入りした者は一二名である。安政四年(一八五七)は、同居夫婦は五七組、このうち嫁入りは四四名、婿入りは一三名である。年代によって同居夫婦の増減などがあるものの、婿入り婚は平均二五%、すなわち四組に一組の割合である。
 農家の次男や三男は、本家や長男の家の厄介となってくらしていくのみではなく、別家ではあるにせよ、家の「当主」となる道があったのだろう。