通婚圏

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大沼田新田の宗門人別帳には婚姻先の村名が記載されている場合がある。事例は多くはないが、「通婚圏」の視点から、当時の婚姻をみてみよう(表2-20)。
表2-20 19世紀中期 大沼田新田の縁付状況
年代大沼田新田内他村→大沼田新田大沼田新田→他村
嫁入婿入嫁出婿出家相続その他
文化元年(1804)1
天保13年(1842)2
(勝楽寺村・
鈴木新田)
弘化元年(1844)2
(宅部村・
中平井村)
2
(小川村・
本宿村)
1
(下安松村)
弘化2年(1845)1
(中野村)
4
(氷川村・柳久保村・秋川村・相模国)
弘化4年(1847)1
(小金井村)
1
(上野国)
1
(田無村)
嘉永3年(1850)11
(廻り田村)
1
(下宿村)
嘉永6年(1853)1
(連光寺村)
安政元年(1854)2
(野崎村・
連光寺村)
安政2年(1855)2
(関前新田・
境村)
安政6年(1859)11
(連雀村)
1
(田無村)
慶応3年(1867)1
*大沼田新田の宗門人別帳より作成。
*後年の付箋などによるものもあるため、年代はおおよその場合もある。
*弘化2年の相模国は高座郡小山村新田、弘化4年の上野国は小泉村。
*弘化2年の「その他」の縁付理由は以下の通り。
 →氷川村:入夫が実家へ、柳久保村:後家となり引き取り、秋川村:養女、相模国:出百姓

 大沼田新田以外の村の出身者との婚姻について、たとえば天保一三年(一八四二)には勝楽寺村(しょうらくじむら)(現埼玉県所沢市)・鈴木新田からそれぞれ一人ずつ嫁を取っている。弘化元年(一八四四)には、小川村・本宿村(現府中市)へ一人ずつ嫁を出している。弘化四年に上野国(現群馬県)小泉村へ嫁を出している例、また帳簿には単に「縁付」などとあるのみで行き先が明らかではない場合もあるが、嫁と婿の出身地および相手先は、ほとんどが多摩地域の村である(図2-27)。このうち大沼田新田の當麻家一族の娘が、多摩郡連光寺村(現多摩市)の名主家へ嫁いだ事例を紹介しよう。
 
小川村の入村者
図2-27 19世紀中期 大沼田新田との縁付村
*表2-21より作成。但し、上野国小泉村は除く。
*現在の埼玉県・東京都の地図に、近世の村の位置を示した。