信仰心を考えるにあたって

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これまで多くの人びとは自分たちで解決できない問題にぶつかった時、「見えない力」にすがり、その解決を試みてきた。現代社会にもあてはまる、この「見えない力」こそが、長い間、神仏の力として認識されてきたと考えられるが、ここに多くの人びとが信仰心を芽生えさせてきたと思われる。また、毎年一定の暦日に行われる年中行事や人びとの誕生や死などにともない行われるさまざまな人生儀礼に注目してみると、それらが寺院や神社と不可分な関係にあったことが多い。それらの年中行事や人生儀礼を通じて、多くの人びとはその年の豊作や健康などに「心の平安」を求め人生をおくってきた。
 しかし、このような人びとの寺社などへの意識は、個人差や地域差が想定できることも明らかになっている。また、神と仏が相対立することなく並存していることを示す神仏習合(しんぶつしゅうごう)という言葉に象徴されるように、西洋社会のような一神教的な信仰をもちあわせていなかった。つまり、日本の宗教や信仰心といった問題を考えるにあたっては、一神教的な思考を排し、複眼的思考をもつことが重要になる。
 さて、近世の人びとの信仰心(宗教)を考えていくうえでは、第一に政治や統治と宗教の問題、第二に人びとと自然環境との問題、以上の二つの問題に留意しておく必要がある。
 第一の問題は、近世の寺院・神社、それに関した宗教者が本所(ほんじょ)や本山(ほんざん)などから編成を受けつつ、そのうえで多くの人びとへかかわりをもっていたことに関連する。たとえば、神主は吉田家や白川家、修験(しゅげん)は聖護院(しょうごいん)(本山派)など、陰陽師(おんみょうじ)は土御門家(つちみかどけ)が、その本所に該当する。第二の問題は、近世には多くの人びとが自然環境に適合しつつ、生産や消費をおこない、そして生活を維持してきたことと関連する。近世には多くの人びとが現代と比較して、自然環境、たとえば木々や水、さらに風などへの思いが信仰心とかかわっていた。近世の信仰心を捉えていくうえでは、宗教編成のあり方や自然環境との関わりなどをふまえつつ、現代人との違いを意識した位置づけが求められる。
 そこで本節では、まず当時の人びとの居住していた生活空間と信仰の関係に注目していきたい。また取り上げる史料についても、当時の人びとの意識を考えるうえでは、文書史料に限らず、絵図や石造物などの資料にも注意しつつ、当時の人びとの信仰心に迫っていきたい。さらに、信仰心を契機にした人びとの社会関係のあり方にも注目することで、当時の人びとが宗教といかにむきあっていたのかについて述べていきたい。