近世には、僧侶や神主以外にも、さまざまな宗教者が存在した。わずかな例ながら、小平市域で確認できる宗教者に注目してみたい。
まず占いなどを生業としていた陰陽師(おんみょうじ)が知られる。当時の陰陽師は、京都の土御門家(つちみかどけ)が公認し、職札(しょくさつ)などと呼ばれる免許状を地域の陰陽師が受けることで成立した。また土御門家の陰陽師編成では、陰陽師以外の修験・神主にも職札を発給していた。土御門家は陰陽師以外の宗教者にも、占いを実施するための免許を与えたのである。
この問題に関連して、安政六年(一八五九)、廻り田村(現東村山市)の宝殊寺の僧侶が土御門家から免許を受けている(『東村山市史』8資料編近世2、六七三頁)。また小平市域の文書にも、職札の写しが伝来しており、当時の宗教者の活動に占いがあったことが明らかである。
一方、小平市域には僅かながら修験の存在もうかがえる。当地では、京都の聖護院を頂点とした本山派に属し、府中の門前坊(現府中市)に組織化されていた修験が認められる。このうち、鈴木新田には、一時期「大膳坊」と呼ばれる修験の存在がうかがえる(『田無市史』第一巻、七八七頁)。詳細な活動内容は不明だが、村のなかに居住しつつ祈祷活動などに従事していたとみられる。この他、黄檗宗寺院の円成院と関係をもった修験(竜蔵院)の存在も認められる。