さらに万延元年(一八六〇)、江戸城の本丸造営に際して、金子を上納していることをうかがわせる願書が伝来している(宮崎家〈熊野宮〉文書)。この願書では、七家の宮崎家が名前を連ねている(表2-22)。多摩郡村山郷(現瑞穂町)で朱印地をもった阿豆佐味天神社(あずさみてんじんじゃ)などの兼帯神主宮崎能登の金一〇両を筆頭に、小平市域の宮崎家をふくむ同じ宮崎の姓を名乗る宮崎家が確認できる。このことに関連して、阿豆佐味天神社の宮崎能登には「触頭(ふれがしら)」の肩書きがみられ、阿豆佐味天神社の宮崎家を中心として、神主達が同族意識を醸成しつつ、江戸城本丸造営に関与していることになる。このような神主間のあり方は、明治以降も確認できるが、この江戸城の本丸造営への関与は、当時の神主が朝廷権威だけでなく、幕府権威に関与することで結集していることにも注意を要する。
表2-22 江戸城本丸造営に関する出資金献金神主一覧 | |||||
No. | 神主名 | 神社名 | 所在地 | 支払い金 | 備考 |
1 | 宮﨑能登 | 阿豆佐味天神社 | 多摩郡村山郷 | 7両 | 朱印地 |
2 | 同上 | 神明社・御嶽権現 | 多摩郡石畑村 | 1両 | |
3 | 同上 | 三社権現 | 多摩郡箱根﨑村 | 3両 | 除地 |
4 | 同上 | 阿豆佐味天神社 | 多摩郡殿ヶ谷新田 | 3両 | 除地 |
5 | 宮﨑若狭 | 阿豆佐味天神社 | 多摩郡砂川村 | 1両 | 除地 |
6 | 宮﨑左衛門 | 熊野三社権現 | 多摩郡中神村 | 1両 | 除地 |
7 | 宮﨑伊予 | 金峰山蔵王権現 | 多摩郡福島村 | 1両 | 除地 |
8 | 宮﨑主膳 | 諏訪八幡両社 | 多摩郡柴﨑村 | 2両 | 除地 |
9 | 宮﨑加賀 | 神明宮 | 多摩郡小川村 | 1両 | 除地 |
10 | 宮﨑左源太 | 熊野宮 | 多摩郡小川新田 | 1両 | 除地 |
万延元年「乍恐以書付奉願上候」(宮崎家〈熊野宮〉文書)より作成。 |