信仰心のありよう

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最後に現在と比較しつつ、当時の人びとの信仰心を整理してみたい。まずは、現代と比較して、当時の人びとの居住空間に神仏の存在を意識させる寺社や石造物などが多いことがみられた。そこで人びとは、それらの寺社などを造成し、さらには支えていこうとする信仰心をもっていた。この人びとの信仰心を支える形で宗教者も存在していた。
 また、当時の人びとの信仰は、村社会のなかでのさまざまな社会関係や寺院や神社、さらには宗教者とのあり方を基本におきつつ、富士信仰や御嶽信仰のように「~信仰」とよばれる信仰を展開させていた。つまり、村内における寺社との関わりを中心としながらもさまざまな信仰が重層的に人びとの意識のなかに存在したのである。
 そして、当地の人びとは遠隔地や郊外の寺社参詣を行いつつ、そこへ金銭を寄進したりするなどして、その寺社とのつながりをもっていた。また、府中六所神社の松尾神社の造成にかかわる例があったように、神社を軸にすえつつ人びとが結集していた例もあった。このようなかたちで、当時の人びとの行動の規範などに宗教や信仰が関連づいていたことがわかる。また当時、寺社参詣や寄進行為が盛んに行われていたことを考えると、人びとの関心事のなかに、いかに寺社とかかわるかという問題関心も存在したとみられる。当時の人びとの信仰心をみるうえで注意しておくべきだろう。その一方で、近世の人びとは神仏の「見えない力」を意識しつつ、徐々に宗教を客体視する認識を強めていった。近世という時代は、宗教を客体視する認識が芽生えてきた時期ともいえるだろう。