持場村への編成

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玉川上水を管理・維持するため、村の百姓たちにも多大な負担が課せられた。以下、百姓たちの負担をいくつかみていくが、羽村から四谷大木戸までの間の上水沿岸村々は、それぞれ「持場(もちば)」という担当区間を割り当てられ、百姓らは居住する村の持場を対象に、上水を管理・維持するためのさまざまな労働に従事した。この持場を割り当てられた村を持場村というが、上水沿岸にあっても持場村とされていない村、反対に田無村のように、上水沿岸でなくとも持場を割り当てられている村もあった。
 次の図2-48は、一八世紀末時点における玉川上水の持場村を示したものである。小平市域にあった村では、太い四角で示したように、小川村と鈴木新田が持場村とされている。なお、小川新田や廻り田新田は、上水に接していても持場村とされていない。本図の二本の線のうち、上の線は上水の北岸を、下の線は同じく南岸を示す。図中では、二本の線が通る村と一本の線のみが通っている村があるが、前者は南北両岸に持場がある村、後者は片岸にだけ持場がある村ということになる。したがって、小平市域にあった村でいえば、小川村は両岸に、鈴木新田は南岸にのみ持場があった。
 
玉川上水の持場村
図2-48 玉川上水の持場村
肥留間博『玉川上水』pp.130-131の図をもとに作成。

 この図では、正確に表現されていないが、持場の範囲は、各村が上水に接している長さに応じて決まるので、上水に接する距離が長い村ほど持場は長くなり、反対に、上水に接する距離が短い村ほど持場は短くなる。つまり、持場の長短は一様でなく、持場が村によって、両岸にわたっていたり、片岸だけであったりするのも、このためである。両岸にわたる小川村の持場は、南岸が小川橋より鈴木新田境までの一五〇〇間、北岸が砂川村境野火止分水堀より田無村境までの三〇〇〇間で、計四五〇〇間にもなった。これは、玉川上水に設定された持場のなかで、二番目の長さとなる。