鈴木新田の下鈴木へは、小川新田や廻り田新田地内の分水口から「関野用水」「田無村用水」「野中鈴木組合用水」「鈴木新田田用水」の四つの分水が流れていた。このうち「野中鈴木組合用水」は、街道(現鈴木街道)と交差する南側で分岐し、一方は鈴木新田の下鈴木を東西に流れ、名主利左衛門水車なども設置された分水である。もう一方は野中新田、さらには大沼田新田へと進む。また、野中鈴木組合用水と田無村用水とは、鈴木新田や野中新田善左衛門組内で合流、また分岐しながら東へ進む。そしてさらに鈴木新田の悪水堀とも合流するなど、このあたりの地域を複雑に流れていた(史料集二六、一二五頁、口絵14)。
鈴木新田の上鈴木への分水は、小川村地内の分水口を起点としていた。この分水には、国分寺用水と下小金井村用水との合流点に、それぞれ掛渡井(かけとい)が設置されていた。掛渡井の普請責任は鈴木新田が負っていたようである(後述)。